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旅行や、都内散歩、関東近辺の日帰り旅行、普段の生活や思ったことなど書いてます。

by civaka

独裁者はどこからくるの

リビアがいままさに、独裁者を倒して、新しい国づくりをしようとしています。
今度こそ独裁者ではない、国のための、国民のための政治家できるひとが元首となって、民主的な国ができるといいなぁと、テレビをみながら、おもっています。

以前からずっと、どうして独裁者ができてしまうのか。
そして、独裁者たちはどうして、粛清をはじめてしまうのか。
ずっと、不思議でした。

でも、現代史を読みながら、考えていたら、もしかしてそれは、軍人
だからなんだろうかと、少し思い至りました。

内乱や、戦争で戦って、勝ち取った勝利。その勝利へとみちびくのは、やはり、戦いですから、軍人タイプの戦うことの得意な人間。
かれらがそのまま、国の元首となってしまうと、もともとが戦うのが仕事の人なので、平和な時代になっても、やっぱり、自分と意見の合わない人間は、敵対する人間として、物理的排除、つまり、殺すことでしか、その解決方法をしらない。

戦争中、あるいは、内戦中であれば、戦って、物理的排除をすることは、あたりまえなことですが、平和になったあとも、彼らは、物理的排除という解決方法しか知らないのでは。

本来はもう、平和なのですから、殺すのではなく、話し合いによって、お互いの意見や考え方を理解しあい、譲歩しあい、調整していくべきはずのものです。

けれど、国のトップが軍人になってしまうと、軍人タイプの人は所詮軍人ですから、政治家のように、話合いによる調整ができないのではないのかと、思えるのです。

戦争、あるいは、内戦がおわったら、もう国の元首は、軍人タイプの人間ではなく、政治家タイプの人間にしなければ、結局は、独裁による粛清政治になってしまう。

国の元首に軍人を選んでしまう限り、何度内戦をしても、国は、現代的な民主国家にはならないのではないでしょうか。

日本の歴史を顧みてみれば、戦国時代から、国家統一という内乱をへて江戸時代へと移っていく中で、豊臣秀吉という軍人タイプの人が、国を統一して、時代の先頭にたちましたが、その後も、朝鮮出兵など、戦争をやめなかったし、千利休やおいの秀次などを粛清していってしまいます。
自分の都合にあわない人間を殺し始めてしまえばそれはもう粛清でしかありません。

その後の、徳川家康は、あきらかに政治家だなぁッと、思います。
戦争や、殺しではなく、政治的策略によって、最終的に自分の都合のよい展開にもっていく手腕。

そののちの、明治維新もまた、革命であり、内戦ですが、吉田松陰の教育によって、軍人ではなく、多くの政治家タイプの人間たちによって、新しい政府と、あたらしい時代がつくられていきました。
西郷隆盛による江戸での戦闘は、説得によってさけられ、全体的には、ひどい内戦は少なかったと思えます。

第二次世界大戦後も、敗戦のために、軍人たちは、戦争裁判によって裁かれ、残った政治家たちによって、戦後の日本はつくられていきました。

日本はたまたま時代の変化の時に運よく優秀な政治家タイプの人たちがいてくれたおかげで、ひどい内戦にならずに、発展してきたのだという、希有な国なのかもしれません。


北朝鮮の金日成も、軍人でしたし、カダフィ大佐もそのなのとおり軍人です。

まだまだ内戦をしていたり、国中が落ち着かない国は多くあります。

でも、いつまでも、内戦による国家統一がなされ、国が落ち着くのを待っていてもしかないのではないかと、最近は思います。
なんど内戦をしようとも、その後の元首にきちんとした政治家タイプの人間でなく、軍人がなってしまうかぎり、いつまでたっても、独裁、粛清、そのあとの新しい内乱が続くだけです。

国際支援をいくらやってみても、どうどうめぐりが続くだけ。

内政干渉はしてはいけないとはおもいます。
でも、こういう発展途上国に、先進国が武器を売り続けている限り、内戦は終わらない。

内戦はとめなくても、武器の生産と流通は止めるべきだし、内戦後のその国の新しい政治体制を作りだすためには、その国の知識階層の人たちが内戦で殺されてしまわないよう、彼らの命を確保し、保護する手伝いは必要なのではないかと思います。ただ、この時、先進国にとって都合のよい人たちだけを選びだすようなことにならないように気をつけなくてはいけませんが。

内戦後の国が、ただしく近代的に民主国家になるような援助は、やはり必要なのでしょう。

いつまでも、内戦を続けている国に、金銭的援助をし続けているのでは、私たちの国の税金だって無駄遣いさせられているわけだし、国の経済がいつまでたっても赤字なのもあたりまえだと、思えます。

現代史もまた、戦争と内戦の歴史です。
戦争の全くない時代もいつか本当にあるのかと、かんがえてしまうくらい。

リビアは、ソマリアは、北朝鮮は、そのほかのまだまだの国もこれから先どうなるのか。
現代史はまだまだつづきます。
by civaka | 2011-08-31 08:49 | 社会のあり方を考える | Comments(2)
Commented by Azusa2号 at 2011-09-01 04:54 x
ご無沙汰しております。
久々に楽天ブログの方を見たら、お引越されたとのことで、さっそく来てみました。
長野旅行の写真とか、相変わらずcivakaさんらしいステキな構図で撮られていて、ほっこり癒されましたよ~(^^)
時間が出来た時にまたのんびり拝見させていただきますね。

>独裁者
世界史で扱う政体循環説をふと思い出しました。
独裁から民主主義から、政治の形がぐるぐる回って、本当に良くなるのならいいけれど、確かにまた同じ事の繰り返し……。それじゃどうしようもないんですよね。

そういえば、先日(2011/8/29付)の読売新聞の文化面に少し気になる言葉がありまして。
「群衆は俘虜と敗将を拝することを拒めり。
 彼らは然しながら偶像を要す」
北一輝の言葉なのですが、「偶像的リーダーが出て来て一挙に全てを解決してくれることを欲す」、そんな心理が多くの人の心にある以上、どうしても独裁は生まれやすいんですよね。

誰かに頼らず、自分の頭で考え行動することを「当たり前」の事として、皆が行うようにしていく――その決意を常に持ち続けなくては、と強く思います。

Commented by civaka at 2011-09-02 17:49 x
こんにちはー
きてくれてありがとうございます♪

政体循環説ですかー。なるほど。そんな説もあるんですね。
たしかにぐるぐるまわってる国もありますね。

日本は偶像役としては、天皇がいますからねぇ。
それを悪用されたのが太平洋せんそうですが。
でも、日本は、トップのすぐ下が一番働く国。
基本独裁にはならないお国柄ではありますが。

私の場合は本一冊読んだだけで書いているので
知識が浅くてこんなくらいしか書けませんが。

私も最近いろいろめんどくさくてだれかが面倒なこと全部やってくれないかなぁとか、思い始めてしまいました。いかんいかん。

コメントありがとうございます。^^