人気ブログランキング | 話題のタグを見る

旅行や、都内散歩、関東近辺の日帰り旅行、普段の生活や思ったことなど書いてます。

by civaka

『プール』

常春の国の水辺に集まる傷ついた人たちを描いた映画。

チェンマイが舞台なのに、でてくる登場人物が日本人ばかり。
しかも、日本人の雰囲気のままで、チェンマイにすみつづけていられるなんて、ありなのかなあ。
唯一、ゲストハウスをきりもりしている京子さんが面倒を見ている少年だけが、タイ人らしい。

日本は、夏もあるけど、冬もあるので、一年中温かくて、窓も壁もあけっぱなしの吹きっさらしで、ちょうど気持ちよく暮らせるような土地というのは、ほんとにうらやましい。それだけで、気持ちがのんびりしてくる。
しかも、敷地内にプールなんかあったら、ほんとにたまらない。

そんなところだからまあ、心をいやしに行くにはもってこいなんだろうけれど、
こういう設定だと、たいがい、心に傷をもった主人公が、心を癒しにやってくるという、当然よくある話。
当然だれも、いろいろ聞いたりしない。

干渉のやたらうるさい日本にいると、ときどき、うんざりするので、こんなところは、ほんとにうらやましい。
にも、かかわらず、でてくるのがほぼみんな日本人なのは、どうしたものだろう。

日本人て、外国で会うと、
とたんに、身内感ばりばりなんだな。

日本にいるときは、感じないのに。

それにしても、お母さんと暮らしたかったと言って、外国まで、娘がおいかけてきてくれるなんて、いいなあ。
就職と同時に、さくっと、家をでて、独立してしまって、たまにかえってきても、帰りたいなんて言う娘がそれでも、大好きな私のせつなさと比べたら、どうしたもんだ。

自分のことは二の次で、家族につくしちゃうのがほとんどの日本の女の人たちだからねえ、

京子さんのように、こんな風にさくっと、自分の好きなように、人生を選択出来たら、いいのになぁ。
うらやましくもある。

でも、母親が娘をおいて、外国に行くなんて、よっぽどのことだ。サクッとなんてはずがない。
そこには、劇中では語られることのない、きつい人生があったのかもしれない。
何で私を置いていっちゃったのと、娘に聞かれても、とても語れないほどの、痛みは、いったいどんなものなのか。

一緒に暮らすことのできない娘の代わりにタイ人の少年を預かって、そりでも、心を癒すのに、数年の歳月を要したのかもしれない。

娘もまた、母において行かれた痛みと、ま正面で向き合うだけの覚悟をもって、やっとのことで、チェンマイくんだりまでやってくるだけの踏ん切りがついてきたのだ。

その先の母娘の会話は、あったのか、なかったのか。
ただ、映画の中に描かれていないだけなのか。
それはもう、観ている側にはわからない。

語られない部分のやたら多い映画なのだから。

でてくるひとたちはみんなたぶん、日本で何かしかの痛みを味わい、心の傷をひきづって、チェンマイのプールサイドまで、流れ着いたのかもしれない。けれどそれは、いっさい、劇中では語られない。

この手の話では普通、後半になって、それぞれの人物の人生や傷や、悩みや、ここに流れ着いたまでの話なんかが語られたりするけれど、今の視聴者はもう、そんなものは、すでに、たくさんの映画やドラマで、たっぷりとみていて、いまさらもう、そんなことを、描いても、うっとおしくて、物語が重くなるだけだ。
どうも、この人物には何かあるらしいと、そんな描写をちらっとするだけで、十分なんだろうと思う。


でもこれはもちろん、私の邪推なので、ほんとはなんにもなくて、ただのほほーンと、タイの田舎のプールサイドで、昼寝しているだけなのかもしれない。

庭にプールほしいなぁ。
あ、常春の気候も必要だけど。


プール〈2009年〉@ぴあ映画生活


にほんブログ村 主婦日記ブログ アラフィフ主婦へ
にほんブログ村

主婦
by civaka | 2016-01-07 16:38 | 映画 | Comments(1)
Commented at 2016-01-08 18:56 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。