映画の記事はネタバレつきです。あしからず。

by civaka

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建売住宅の騒音

今、我が家の隣は、建売住宅の建設中です。
土台作りからはじまって、いま、柱、壁、サッシのはめ込みなど、まさに建ててる最中。
もううるさくてうるさくて、まいってます。

土台作りの時はそうでもなかったのですが、材木を切る電気のこぎりのチュイーンという音がものすごくうるさい。人間は、やっぱり、金属音が一番苦手。それと、木をたたく金槌の音かな。
かなり響きます。

都会に棲んでいるので、多少の騒音はしかたないのですが、朝の8時から、夜の7時まで。一日の、ほぼ半分の時間ずっと、休む場所である自宅で騒音を我慢するというのは、やっはりかなりきびしいことです。

5時までだと思っていたのに、最近は、電気をつけて、7時までなので、さすがにつらいのです5時までならなんとか我慢できるけど、7時というのは、我慢の限界をこえてしまいます。日本はなんでも一生けん命で、働き者。そして、工事期間が延びるとお金がかかるので、なるべく工期内で、仕上げたいから、無理をするのでしょうか。
普通の会社でも、残業はありますからね。

でも、やはり、休む場所である住宅地で、7時までの騒音というのは、やりすぎでは。

我が家を建てた時も周りの家の人は、騒音を我慢したろうと思います。でも、特に急がずに、ゆっくり建ててもらいました。でも、建売は、そんなわけには、いかないでしょうし。

できれば、法律で、もっと厳しく、「工事は、5時までに終わらせること」を厳守させるようにならないだろうかと、毎日考えています。

今回特にうるさいのは、在来工法のせいです。ツーバイフォーのように、現場では組み立てるだけなら、それほどうるさくなりません。在来工法の方がいいけれど、ツーバイフォーの建て方の方が普及していくのは、やはりこの、騒音のせいかもしれません。
家はだいたい、住宅地で建てますからねぇ。

日本古来の建築方法がすたってしまうのは、残念だけど、この騒音を考えるとしかたないのかもしれません。

とにかく、早く、この騒音終わってほしい。emoticon-0106-crying.gif
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by civaka | 2011-12-29 20:57 | つぶやき | Comments(0)

『八日目の蝉』

不倫の恋人の娘を誘拐して育てた。というお話。a0226627_20352736.jpg

不倫の相手の子供をはたして、誘拐してでも、育てたいと、思うかどうか、考えてみたけれど、どうにもわからないです。不倫したことないし、子供をおろしたこともないので。

ただ、このお話、不倫相手秋山の奥さん恵津子が、どうにも性格がすんごくあぶない。
かなり、ヒステリックだし、ここまでの人って本当にいるのかなぁと、ちょっと思いました。
たぶん、かなりうるさいのではないでしようかね。家庭の中でも。
こんな奥さんだったら浮気しても、しょうがないかも、と、ちょっと思いました。

こんな事件がおきるのは、そもそも男が悪いとは、思うのですけどね。

もし、誘拐されなかったら、幸せな家庭、幸せな親子だったはずなのに、誘拐されたせいで、すべてがおかしくなった、と、恵津子はいうわけです。

でも、はたして、そうなのかな。
たとえ、誘拐されたとしても、戻ってきた時に、まともな愛情と、まともな子育てをしていれば、ある程度までの、親子関係の回復は、できたのではないかと、そう、思えるのですよ。

でも、この奥さん恵津子さん。毎日、夫の不倫相手に電話かけたり、子供をおろして二度と妊娠できなくなった希和子に対して、空っぽなおなかと、いったり、法廷で死ねと、叫んだり。

みていると、かなりヒクテリックでやばい性格しています。

この物語の異様な展開のための性格設定なのでしょうか。

でも、もし、誘拐されなかったとしても、この恵津子だったら、育児ノイローゼになって、おかしくなって、家庭は、崩壊。そのあげく、離婚になったかもしれません。
その結果、離婚したこの夫秋山は、希和子と、よりをもどして結婚し、結局希和子が恵理菜を育てることになったのでは。

なんて想像もできるくらい、この奥さん、おかしいんですよねぇ。

母性がテーマの話というわりに、恵津子の異様な感じに不思議さが残るというか、ひっかかるというか。

法廷の証言でも、娘のことを「えりなちゃん」と、やたらちゃん付けで呼ぶのですね。
普通の母親ならだいたい、娘の名前なんて、呼び捨てですよ。

誘拐され戻ってきた恵理菜が、結局自分の本当の家にもかかわらず、なじめず、大学生になって、家をでてしまっている。恵理菜が実家にもどった時の親子の会話をみていても、どこか他人行儀で、親子らしくないのです。

恵理菜が、実の母親と親子らしくなりえないのは、誘拐だけが原因なのではなく、このあぶない母親にどうしても、母性を感じられなかったからであるのではと、そんな感じです。
誘拐から戻った4歳の恵理菜に対しても、すごくヒステリックで、忍耐も愛情もないのです。

実の母親であっても、母性がなければ、親子の情を通わせてゆくことはできないのですね。

しかしこの恵津子さん。母性とかいうまえに、このヒクテリックなちょっと危ない性格を直した方がいいのではないでしようか。精神科の先生なら、病名つけてくれそうなくらい。

結局、そんな部分にうんざりして、夫も娘も、この奥さんから、この家から、逃げ出しているのですから。

ある意味、絵里菜は、誘拐され希和子に育てられたことで、たった4年ではあっても、母性を学ぶことができたのは、ラッキーだったのかもしれません。

子供を身ごもった恵理菜は「、どうやって育てていいかわからない。だってしらないもの」。と、いいます。でも、物語のラストで、自分が希和子に育てられた4年間を思い出した時、すーっと、彼女の心理は回転して、「わたしはこの子を愛せる。育てられる。」と、いいます。
自分が季和子に育てられた記憶をとりもどしたことで、子育ての方法を、感覚を、心を、愛情のかけ方を、思い出せた。

恵津子から子育てや母性を習うことはできなかった。
恵津子は、子育てのしかたもしらなかったし、母性も、もっていなかった。

人は、生まれつき、子供を育てるルールを知っているわけではないのです。
母親に育てられることで、子育てを学ぶのです。

野生の動物も、人に育てられると、自分の子を産んでも、育てられないそうですが、だとしたら、子育てのしかたをしらない、一見聡明そうでまともそうな恵津子は、子育てのルールをしらない。
ということになります。

恵理菜が誘拐されるシーンでも、生まれたばかりの子供を残して、雨の中夫とともに、家を出ていたりして、戻ってくるまでに相当の時間がかかっている。そのシーンにまず違和感があったわけです。

子育ての方法をしらない女性たち。

だとしたら、だれが、彼女たちに子育てを教えるのか。

それこそが、問題なのではないのでしょうか。

母性は、素晴らしいものだけれど、先天的に持っているものではありません。

女性の母性という幻想だけでは、これからの時代は、続いてはいきません。

そこになんらかの手だてが必要なそんな時代になっているのではないでしょうか。
男女共同参画で、女性も働く時代。忙しすぎて、ゆっくりと子供に向き合って、子育てのできない時代。

母親から子育てを習う時間を、子供たちから取り上げないでほしいのです。
そのてだてもまた、社会が考えていく時代であり、必須なのではないのでしようか。

けれどまた、愛されて育つ幸せと喜びをしっていれば、自分もまた、わが子を愛して育てる喜びを味わいたいと思う。希和子に愛たされて育てられたことを思い出した恵理菜の笑顔にも、育てることの喜びが満ち溢れて、こぼれていたように、子育ては、義務でも、責任でも、権利でもない。

そこにはただ、子供を育てることの幸せと、喜びがあるだけ。
だから、物語のはじめのところで、希和子がいう。

「子供を育てることができてよかった。それだけです。」、と。



八日目の蝉@ぴあ映画生活

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by civaka | 2011-12-24 20:34 | 映画 | Comments(0)

『源氏物語千年の謎』

まあまあの出来というところでしょうか。a0226627_1313957.jpg

生田斗真の『青海波』が観たくていったのですが、まあまあというところでしょうか。
でも、全体にすごく雅できれいでした。

六条の御息所役が田中麗奈で、どうよとおもったのですが、彼女の特別に印象的な目が、生霊の役の時にまさにぴったり。ミステリアスな源氏物語もなかなかです。

千年の謎とかいいますが、紫式部が源氏物語を書いた動機が、藤原の道長への恋情と、嫉妬というのは、なんかちょっと安易なような気がします。嫉妬だけで、あれだけの物語がかけるとは、思えない。

それと、源氏物語は、実際には、ばらばらに書かれたもので、時系列をととのえたのは、後でのこととか。
桐壷の巻から、順番に書かれたわけではないはずです。
まあ、フィクションですからね。

でも、六条の御息所の生霊の部分がかなり描かれていて、見ごたえはあったかもしれません。

時代考証は、いいまでみた源氏物語の中では一番リアルだったと思います。

何作も作られていますが、作られるにつれて、だんだん時代考証や、建物、調度などが、それらしくなっていくようです、そのあたりだけは、いいです。


藤壷役の真木よう子さん。美人なんだけど、声がハスキーすぎてねー。ああいう時代だから、声の美しさって、かなりの美人の要件だっただろうにと思うんだけど、声が美しくなくて、そこが残念。

でも、キャストや、セットはよかったし、この後のストーリーも、作ってほしいかも。
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by civaka | 2011-12-23 13:09 | 映画 | Comments(0)
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生協のピザ生地を買って、のばして、トマト缶でつくったトマトソースをのせて、具を載せて、チーズをのせて、家のオープンで焼きました。
素直に自家製。

変な味がしないし、油でギトギトしてないし、すっきりさっぱり、でも、すごくおいしい。
はぁ、しあわせ。

先日ひさしぶりに出前ピサとったら、なんかまずくて・・・。
アブラギトギトだし。
なんかへんな味。
しぶしぶたべてた。

しかたないので、久しぶりに自分でつくった。
ゲキうまい。

パン焼き機ももってるので、ほんとは、生地も、買わずに自分でも作れるんだけど、
生地作るとなると、時間かかるので、夕飯の時間から逆算して、セットしないとならないのが、ちょっとメンドー。
しかも、うかうかしてると、醗酵しすぎちゃうし。
でも、すごいおいしいですが。

今日のピザは、

クラッシュトマト、
たまねぎ
ピーマン
アスパラ、
ハム
ベーコン
しめじ

焼きあがってから、ベビーリーフものせてみました。
フレッシュでおいしかった。

トマトソースも、トマト缶からクッキングカッターかけて、すこし煮込んでつくりました。
ピザは、オーブンで200度13分。

野菜と、トマトソースと、チーズのハーモニーが抜群。

石窯で作ったら、きっともっとうまいぞーーー。

はう。
ごちそうさま。
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by civaka | 2011-12-17 20:17 | お料理 | Comments(0)

『SOMEWHERE』

「ここではないどこか」a0226627_22245844.jpg

それは、いったいどこ?

一人の男が大人になる瞬間を切り取った物語。
と、私は、そう、解釈しました。

主人公ジョニー・マルコは、ハリウッドの人気俳優。
売れっ子スターの彼は、当然モテモテで、どこにいっても、引く手あまたで、片っ端から美女たちが寄ってくる。俳優になる時も演技の勉強など一切しないまま、俳優になってしまったラッキーガイだ。
仕事も女もまったく苦労することなく、手に入れてしまっているのだ。
彼はまだ人生において、苦労したことも、辛い思いをしたこともないに違いない。

だが、彼は、実は一度結婚していて、娘も一人いる。
けれど、もてる彼は、当然結婚してからも、浮気だらけであったろうし、そんな夫に業を煮やした妻は、娘をつれてでていってしまったのではないかと、思う。

女も遊びもやりたい放題の彼。
ところがそこにある日突然、その一人娘クレオがやってくる。
彼は、娘が三年もアイススケートをやっていることも知らなかったところをみると、ほとんど、家のことも家族のことも、ほっぽりっぱなしで、仕事と、女と遊びに夢中だったのだろうと、思う。

すぐにスターになった彼は、まだまだ遊びたいさかりのまま、ついうっかり、子供ができて、結婚してしまったのだろう。そんな彼に、家族を守る責任感なんて、てんで、なかったのだろう。

ところで、クレオの方は、そんな父親がそれでも好きらしい。ジョニーの包帯にサインをしている。
サインというのは、スターを象徴する行為。
売れっ子で大人気のスター俳優であるジョニーは、クレオにとってはあこがれの自慢の父親なのかもしれない。
この映画の監督ソフィア・コッポラもまた、父親と同じ、映画監督の仕事に就いている。彼女もまた、父親が大好きで、自慢の存在だったのではないかと、思える。

父親のもとにやってきたクレオは、娘がいるにもかかわらず女と遊ぶ父親を目の前にしても、怒ることなく、じっと黙っている。もし、そのことで怒りだしたり、ジョニーを非難したりしたら、もう、ジョニーのところにはいられなくなる。だから、じっと我慢している。

けれど、そういう状況の中で、一緒にイタリアに行ったり、ショーをみたり、プールで泳いだりして、一緒に遊び、一緒に過ごすうちに、だんだんジョニーは、娘と同じ時間を過ごすことが楽しくなってくる。
キャンプにいくのをもう一日伸ばして、「もう少し一緒にすごそう」と、クレオに言う。

彼にあいかわらずよってくる美女たちに対しても、この頃にはもう、関心をしめさなくなっているジョニー。
彼にとってももう、クレオは大事な存在になっているのだ。
イロコイではなく人を好きなる事。そんなことをジョニーは、初めて体験する。
女遊びや娯楽ではえられなかった楽しさをジョニーは初めて知る。

それでも、別れはやってくる。
クレオをサマーキャンプに送り届けたジョニーは、父親らしい情愛の言葉をクレオにかける。
心のつながった二人の別れ。

クレオのいなくなった生活はもうさびしくて、彼には、耐えがたいものにすらなっていたのだ。
彼はさびしいということ、心の空虚というものをはじめて体感する。

そして、すこしづづ変わっていくジョニー。
初めて自分でスパゲティーをゆでて、自分の食事を作ってみたり。
料理をする。片づけをする。
生活するということを意識しはじめたのだ。
彼は人生というものをまじめに見つめ始める。

そして、ホテル住まいにも、放蕩生活にも、別れをつげるラストシーン。
放蕩の象徴ともいえる彼の愛車フェラーリを砂漠に乗り捨てて、歩き去るジョニーの顔には、かすかな笑みがある。

もう、子供のように遊び呆けている子供から、大人の一人の男にと、彼は、成長したのだろうと、思う。

ところで、娘のクレオの方は、小さいころから父親のいない生活、不安定な母親。
そんな中で、じっと耐えて、暮らしてきた彼女は、すでに、大人になる寸前にいる。
11歳のあどけなさと、11歳とは思えないような、落ち着いた美しさを持っている。
俳優さん自身の美貌もあいまって、みているこちら側は、本当にうっとりする。

彼女はあと数年で、大好きな父親の後を追いかけるように、ハリウッドで女優としてデビューするに違いない。
監督ソフィア・コッポラが父親と同じように、映画監督になったように。

それにしても、大人になるって、むずかしいなぁ。

仕事も恋も遊びもうまくいきすぎて、大人になりそびれたジョニー。
両親の不和によって、ずっと寂しさやつらさにたえながら、すでに大人になりはじめているクレオ。

どんな状況にせよ、ひとはやっぱりいつかは、大人にならなければ、ならないのだろうな。

ここでははないどこか。

ここ。
人はいつまでも、子供の場所で楽しいだけで暮らしいるわけにはいかない。

どこか。
それは、大人の場所。人生の痛みと寂しさを乗り越えて。たどりつかなければ。




SOMEWHERE@ぴあ映画生活

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by civaka | 2011-12-16 22:25 | 映画 | Comments(0)

ネットアンケート

私はネットでのアンケート時々やってるんですけどね。

やってるとなんかねー、アンケートっていうより、なんかただの宣伝なのかなって思うのです。
洗剤とか、歯磨きとか、化粧品とか、ね。
アンケートやってると、ずーっとその新商品の説明を読むように強制される。

アンケートなんてどうでもよくて、ただの新商品の宣伝のようなきがするんだけど。

どうなんでしょ。
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by civaka | 2011-12-15 22:11 | 社会のあり方を考える | Comments(0)

『パラダイス・キス』

『NANA』で話題となった矢沢あいの原作作品の映画化です。a0226627_1205287.jpg
『NANA』よりも、前の作品ですが、全5巻のストーリーをうまくエピソードを絞ってまとめてあり、意外といい作品でした。さらに、原作と違うハッピーエンドのラスト。こんな結末もありなんですねえ。

原作よりも、テーマがかなり明快でわかりやすく、それをうまくラストにつなげてあり、しかも、原作をむりやりかえている感じもなくて、なかなかの好作品だったと、思います。
飽きることなく、面白く見ることができました。

主演北川景子さんも、高校生とは思えない、すぐモデルになっても違和感のない美貌の主人公ゆかり、にぴったりで、演技もなかなかよかったと思います。
また、モデルの時の表情、細かい微妙な変化が、特によかったです。

ジョージ役の向井理も、背の高さ、抜群のプロポーション、普段めったにお目にかかれない、男性だと、なかなか着ることのない派手な衣装を着ていて、それでも、違和感なくかっこいい。堪能させていただけて、たのしかったー。向井理かっこいいっ!!!

ジョージの規制の枠に収まりきらない奔放さが、日本では結局うけいれられず、ジョージはパリへと旅立つのが原作のラストですが、映画では、そういう奔放さの受け入れ先として、アメリカのショービジネスという特異な世界の中で、成功するという解釈でした。こんなラストにちょっと納得。

そういう解釈によって、二人がハッピーエンドのラストを迎えたシナリオが、原作を超えた展開となって、すっきりとしたというか、ほっとしました。原作では、別れてしまった二人が、結ばれて、うれしかったです。

ジョージが最初にめざした「女の子に幸せをあたえる服作り」ではないけれど、ショービジネスによって、舞台衣装づくりというもので、老若男女すべての人に幸せと夢をあたえるという結末は、それもそれでまあありかなと、思えました。

学歴社会で生きることが幸せという固定観念からの脱出、自分の頭で考え、自分の意思で行動し、母親からの強制でなく自分で自分の人生を生きろ、と、ジョージは、何度も言います。自分の意思でモデルをめざし、仕事がらみで訪れたアメリカで、ゆかりは、自分の足でジョージのいるところにたどりつきます。
ジョージもまた、女の子のための服作りという固定観念から脱出し、舞台衣装づくりという分野に至るまでになります。ここまでいくのには、ジョージもまた相当の苦しい葛藤があったのではないでしょうか。
ゆかりも、ジョージも、ゆかりの母も、視聴者も、思い込みや固定観念から、脱出していく。
自分の頭で考え、自分の意思で行動する。

人生という舞台を自分の足で歩け。

という物語でした。

ロボットのような歩き方をしていたゆかりが、
本番では、もっとも美しく歩き、満場の喝さいをもらうシーンもまた、印象的でした。
(でも、いくらはじめてでも、あの歩き方はちょっとありえないと、おもいますけどねぇ。)


それにしても、『NANA』21巻の後が、発売されないけど、どうなっちゃたのでしょうか。
21巻で完結したのでしょうか?

完結するところまで読みたいです。

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パラダイス・キス@ぴあ映画生活
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by civaka | 2011-12-14 12:21 | 映画 | Comments(0)

知識とは

かつては、どれほど多くの知識をもっているかだったけれど、
インターネットがこんなに普及した今、

どれほど他人がしらない知識をもっているかが

勝負の分かれ目。

検索で一発ででてくるサイトに書いてあることなんて、ほぼみんなが知っている。

と、想定するならば、
他者のの知らない知識はどう手に入れるのか。

検索を繰り返して、めったに検索にひっかからないにもかかわらず、
すごいことの書いてあるサイトをさがしだすのか。

お金を払って、本や雑誌を買うのか。

その道のプロフェッショナルと、仲良くなるのか。

自分で見に行くのか。
自分自身で、考えだすのか。

うーん。

どうしたらいいのか。
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by civaka | 2011-12-13 09:51 | つぶやき | Comments(0)

月食

昨夜はじめて月食をみた。

真っ暗な夜空にバレーボールが、落っこちることもなく、ぽっかりと浮いている。

11時ごろが月食の見ごろの時間と聞いて、寝る前に窓の外を見上げてみた。
薄く赤っぽい白いボールそのもののお月さまだった。

いままで何回も月食はあったはずだけど、いつも見そびれていて、こんなにはっきり見たのは初めて。
光があたらないのだから、真っ暗で、みられないだろうにと、思っていたのに、暗い夜の空の中で、光を自分から発していないと、こんな風になるのかと、初めての月食をしばしじっくりと観察した。

日食とは、ぜんぜんちがうんですね。
おもしろかった。

でも、写真にうまくとれる自信がなくて、撮影はしませんでした。
でも、たぶん、写真に撮らなくても、忘れない。と、思う。
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by civaka | 2011-12-11 11:19 | つぶやき | Comments(0)