映画の記事はネタバレつきです。あしからず。

by civaka

<   2012年 03月 ( 14 )   > この月の画像一覧

カテゴリは、料理だけど、私が作ったわけじゃなくて、買ってきたもの。
ズバリ東京駅の構内で買った駅弁です。
息子を送っていって、お弁当買ってあげて、その帰りに自分たちの食べる駅弁を同じお店で買ってきたという。

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その名も『春らんまん』
三種のごはんと春らしいお総菜。

うーん。めちゃくちゃおいしかったですよ。
全体に薄味で品のいい味付けで。

久しぶりにおいしい夕飯だった。
でも、その前日、息子と食べる最後の夕飯はすき焼き。
すき焼きもおいしかったけどね。

でも、私、こういういろんな珍しいおかずがはいってる品のいいお弁当が一番好きなのだ。
ちなみに最後の夕飯だというのに、娘は時間通りに帰ってこなくて、すき焼きは三人で食べました。息子が家を出ることになると聞いたとき娘はすごい寂しそうだったのに、いざいなくなる日の夕飯ではこの体たらく。
出発の朝も兄に声をかけられても、寝ぼけて起きないまま。

なんてつめたい娘なんでしょう。

こんなものかな。

ま、最後といってもぼんくれしょーがつかえってくるだろう。たぶん。

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シーズン限定。

ごちそうさまでした。emoticon-0142-happy.gif
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by civaka | 2012-03-31 15:19 | お料理 | Comments(0)

青年は荒野をめざす

とうとううちの息子は、関西に旅立って行きました。

いまでも、どうして関西に本社のある会社にいくことになったのか、わかりません。
これじゃ会社やめない限り東京には帰ってこない。ただ、話を聞くと、息子の同級生は、どこの会社に入った人もみんな地方勤務なんだそうです。
今は、そういう時代なのか、民間企業って昔からそうなのか。わからない。

大学のために東京に集まっていた若者たちは、就職によってまた、全国に散って行きました。
海外勤務になった人もいるはず。

一生懸命育ててきたけれど、関西に取られちゃった。
ていうか、もっと厳しくもっとしっかり育ててあげればよかったかと、今更ながらのちょっとした後悔もあります。

昔のように、子供のたくさんいる時代なら、親は、長男以外は、どこにいってもいいやと、思ったし、国のために海外まで行っても頑張って働いてと思ったかもしれないけど、政府の国策で今はどこの家庭も子供は二人が標準で、だから、男の子なんて、みんな長男。これから年をとっていく親にすれば、子供たちがやっと育て終わったところで、地方にみんな飛ばされるのっていやだと、思うのは当然で。
なのに、今の親は子供が地方に行ったりするのをいやがるとか、子供の就職にくちだししてうるさいとは、今どきの親を非難する声があるけれど、そんなことをいう人たちは、はたして子育てしたことあるのか。そういうことをいう人にかぎって、わが子は、自宅からの仕事についているのかも。などと考えてしまいます。昔の親だって、長男だけは、手元においといたんじゃないの。

というか、私の親も旦那の親もわが子をちゃっかり手元に置いている。
でも、わたしは、そうやって、親の手元に置かれたことが実はとてもうっとおしかった。



ところで実際もう内需が期待できないとしても、だから海外への市場の拡大、生産の拡大。とそんな単純な方法でいいのかどうか。とも思うけど。

もう、経済や国の発展の方法は、もっと違う方法が必要なんじゃないかとも思うけど。





それでも、なかなか大人にならない、わが息子。とりあえず、親元を離れて、ひとりになって、成長してほしいと思っています。


彼が無事に働らいていけますように。
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by civaka | 2012-03-30 09:28 | こどものこと | Comments(4)

『雪之丞変化』時代劇

昨日のNHKBSプレミアムでやっていたので、見ました。
2008年の正月番組だったようです。
滝沢秀明くんが一人二役の主演。

このタイトル有名なので、知ってはいたのですが、見たことなくて、どんなお話なのかなと。

みていると、なんか親子関係が今とちがってすごく濃密だなと思いました。親のために自分の人生つぶして、敵打ち。親も親で自分の恨みを果たしてくれって死に際に子供に頼むし。うーん。いまだったら、親のために自分の人生つぶすなんて、やるかなぁ。なにしろ、子供育てても、はたして老後見てくれるのかどうかすら分からない時代。ですからね。親も子供に仇討なんて頼まないかも。
親は親、子供は子供っていう個人主義がもうかなり幅を利かしてるし。

こんなに親子関係の濃密だったのは、江戸時代なのか、この原作、シナリオのかかれた数十年前の時代だからなのか。原作は昭和10年。なるほど、この時代までなら、まだまだ封建社会の風潮も思想も残っていそう。

商人だった両親がだまされて殺された雪の丞。親のかつての罪業のために敵打ちされて騙されて最後は自害してしまう元長崎奉行・土部三斎の娘浪路。

敵役あくまで土部なに、ここまで相手の娘まで巻き込んでも仕方ないのではと、思うんだけど、そのくらい、この当時は、親と子は一緒なのかなと。

ここまで親子関係が濃密だからこそ、昔は、40才くらいで自分の財産と家督を子供に譲って隠居できたのかもしれないとも、思いました。
今じゃ、財産譲ったあと、子供がその財産をどうするかもわからないし、自分の老後をみてもらえる確証もないという時代になっちゃったので、高齢の親は、死ぬまで子供に財産譲ることは、しないですもんね。

もっとも、商人だった親を殺されたっていうことは、継ぐはずだった家と職をだめにされたっていうわけで、子供は家とその職を代々受け継いで子孫に伝えていくべきという価値観の時代なので、それをダメにされたっていうことも仇討の理由となってもいるのでしょうか。
結構な商家だったので、何事もなければ雪の丞は、普通に商家の旦那として裕福で満たされた一生をおくれたはずなので、そういう個人的な自分自身のための恨みもあるわけですよね。


それでも、仇討をはたしたあと雪の丞は、やらなきゃよかったと後悔するんですが。
そのあたりの心情が今一つわかりにくかった。演出不足なのか、演技力不足なのか。何に対して、後悔したのかがね。
自分の仇討のために周りを巻き込んで周りを不幸にしてしまったということでしょうか。
でも、実際に捕まった闇太郎は、もう一人の雪の丞という役割なので、捕まった自分を外側から見るような感じ。そのうえでそんな自分をみて後悔するというわけで。
原作者は、恨みを抱き続けることの無為を語ったのでしようか。



滝山くん。確かに美形なんだけど、それでも男顔なので、女形はなんかに合わないような。
この役を女優さんがやったらどうなるのかな。
いろんな俳優さんで何度も作られている作品。
解釈がいろいろできて、作るたびにおもしろいお話なんですね。


今作は、面白さは今一つでした。原作ならおもしろいのでしょうか。
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by civaka | 2012-03-24 10:03 | テレビ・ドラマ | Comments(0)
何度も、何度も、別れようとした。
でも、どうしても、できなかった。
どんなに遠く離れても、気がつけば、お互いがお互いを求めあってしまう。
無難な選択をしたはずなのに、無難な選択のはずの夫とは、どうしても、心がよりそわない。
無難な人生よりも、自分の心に素直に従う、そんな人生を選ぶべきだったのに。

いつもつい相手をなじったり、自分のいら立ちをぶつけてしまう。
だから、私たちは、あわないんだと、思ってた。
でも、それは違ってた。
好きだからこそ、心の距離が近いからこそ、自分の心を明かしてぶつけていただけで、だからやっぱり一番好きだからこその喧嘩だっただけで。
そんなことに、今更気がついた。
今からじゃ遅いのですか。
でもたぶん、もう、運命にあらがうなんて、無駄なことだ。
これから先にたとえ、修羅があっても、自分のこころに逆らう選択はもうできない。


とりあえず、見始めてみたら、なんだかそのまま見続けてしまって、ヒロインの中山美穂の声や、心が見ている側にすんなりとはいってくるそんな自然なシナリオだったような感じです。
佐藤浩市も、なんだか、男として味がでてきたなあって、思いました。
以前はやたら男らしさだけの俳優であんまり好きじゃなかったのですが、今回のドラマでの佐藤浩市はよかったです。
中山美穂は、おばさんになったなぁ。あいかわらずきれいだけど、ちょっと容色落ちたかも。でも、そのうつくしすぎないところが、主婦でありながら、自分の日常に満たされていない、女性の寂しさをよく醸し出していて、とにかくドラマとしての全体のバランスが、自然な感じでよかったです。

前半は寝台列車の旅番組みたいで、列車で見る夕日や、豪華な展望スィートルーム、レストラン、などなどを見ることができて、トライライトエクスプレスに乗ってみたくなりました。列車の宣伝番組の要素もたっぷりでした。その部分も楽しかった。

世の中の流行や、みんなが選ぶもの、無難なもの、そんな選び方でなく、自分の好きなもの、興味のわくもの、そういうものを基準に人生を選んでいった方がいい。そう思わせるお話でした。
みんなが選ぶ無難なものの中で、広いけど末席にとりあえずいるより、狭くても、自分の好きなものの世界でトップにいることを目指す。そんなほうがいいんじゃないかと、思う。

無難な生き方なんてつまらない。
無難な選択が楽な道とは、かぎらない。


でも今の私の人生ってなぜかすごく無難。ふつうの主婦だしぃ。emoticon-0140-rofl.gif

3・20TBS放送でした。
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by civaka | 2012-03-21 09:28 | テレビ・ドラマ | Comments(0)
昨夜NHKで、夜10時から放送していたマイケルサンデル。
話題の先生だけど、真面目にみられたのは、はじめてかも。

テーマは、「許せる格差、許せない格差」

だったんですが、それで結論はっていうと、結論自体はでません。
この先生の授業でやっていることは、問題に対して、どういうように考えるのかという、方法論を教えるということですね。

今回のテーマに対しては、人は自分のいるポジションにとって有利になるような結論を出そうとするもの。けれど、本当に正しく答えをだすためには、自分のポジションを離れて、すべての人にとっていい結果となるような結論を出すべき、ということでした。

考えてみれば、学校でやっているいろんな授業もみんな、方法論を学んでいたんだなと。

で、この手の授業は、いろいろな参加している学生に意見を言わせて、考えさせて、結論を自分たちで考えて導き出したように感じさせるけれど、実際には、先生の前もって考えている結論に向かわせていくもの。

野球チームの選手の収入に差があるのは、しかたないかもと、大概の人が思っているもの。
その例を出した次に、では、会社の場合はどうかと、考える。
技術部の開発したものによって、会社に大きな収入がもたらされた。
その収入をボーナスとして社員に配るとしたら、
①全員に配るべきか、
②開発した技術部に特に半分を渡すべきか、
③経営の成果として、経営陣により多く配られるべきか。

でもこれ、この比較はおかしい。
これを比較する場合、野球チームもまた、選手チームのほかに、野球チームを経営する経営陣、野球チームの経理、広告、人事などを管理する一般事務社員がいるはず。
選手チームと、技術部が同じ部分に当たる。
そして、技術部が開発した技術といっても、それは、技術部全員ではなく、一部の人間あるいは、ひとりであるかもしれない。

ただ違うのは、野球選手は、成果がでなければ、契約更新がない。つまり、会社で言うところのクビ、解雇と同じ。
でも、会社の技術部は、たとえ、成果をださなくても、解雇されないし、とりあえず、研究をつづけていれば、成果がでても、でなくても、給与は払われ続ける。そしてそういう技術部の社員の給与や、会社全体の社員の給与をだし、社員をささえているのは、会社全体であり、すべての社員のそれぞれの立場での仕事なのではと思う。度の社員も必要だから雇われているわけで、そのすべてがそろっていることで、会社は、成立している。

それを野球チームの成果方式と比べるのは、違うはず。

でも、この授業で先に野球チームの例をだされることで、考える学生たちも、テレビをみているこちら側も、ちょっとした錯誤を起こしているような気がする。

それでもこの番組をみていて、学生さんが、自分の意見が他の人に反感をいだかせるかもしれないけれど、と言いつつ、意見を言うシーンがあって、たとえ他者に非難されようと、自分が正しいと思う意見をいえる勇気にあらっステキっと思ったのでした。

今日本にある格差。
派遣労働、移民労働者、企業というのは、常にいかに原価を安くするかを考えているわけで、モノの値段はすべて人件費なわけだから。
安い人件費をもとめる企業と気がつけば安く使われてしまう労働者。

その中でもとめる正義。

今現在答えの出しにくい問題ではあるけれど、考えてみれば、今では当たり前の男女平等や、男女のすべて、収入に関係なくあたえられている選挙権だって、数十年昔は、差別されていたわけで、今悩んでいる格差も数十年後には、なぜあの頃あんなに悩んでいたのかと思うほど当たり前なこととして解消されているのだろうか。

経営者や技術者にはあるかもしれない成果を上げたという事実は、普通の事務の一般社員には、存在しない。どんなに効率よく仕事をしても評価されることはない。
そして、女性ゆえに常に男性より給与が低く、出世のチャンスもなかった。

そういう立場からすれば、成果が出たことイコール報酬と、ダイレクトにされるなら、一般職にだって成果を評価するシステムがあってもいいはずだし、移民労働、派遣労働以前に存在した男女格差すら、いまだに解消されていないはず。

立場の弱いものが損をする。搾取される。

弱い立場の人間の気持ちになって考える。
最終的に求められるのは、想像力の豊かさと、感性なんだそうです。


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by civaka | 2012-03-20 11:59 | 社会のあり方を考える | Comments(0)
諏訪湖畔にある千人風呂に日帰りで行ってきました。去年の夏に行った蓼科の旅行の帰り、ちらっと立ち寄って見かけた千人風呂。存在は知っていたけど、いままでは、興味ありませんでした。でも、始めてみたら、その建築の美しさにうっとり。入ってみたいと、思ったけど、その時は時間がなくて、あきらめたのです。それで今回、出なおし。
日帰りでもいかれる距離だし、ここに入ることだけを目的にした、旅でした。
今回は、それと、その時に同じく食べそびれた名物?のみそ天丼も、食べたくて。この二つだけの旅です。

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この季節に旅行するのは、珍しいのです。雪山っっていうだけで、感動!www

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これは、八ヶ岳。雪ですね。

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上諏訪駅の近くのお店でいただいたみそ天丼。の、セット。味噌だれは甘いのですが、液状のしょうゆだれと違って、下の方のごはんまでは、しみてなくて、別のお皿にそえられているみそだれをつけつつ食べました。
味噌味の天丼なんて、今まで考えたこともありませんでした。こういうのもありなんだなぁっと。
おいしかったですが、またたべたいほとではなかったかな。
やっぱり、江戸っ子なので、醤油味のほうがいいや。
でも、一度は食べてみるのもいいと思う。

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そのあと、いよいよ、憧れの片倉館千人風呂へ。
昔風の洋風のこの建物がすてき。
ここのお風呂は、とても深いのです。1m以上は、あると思います。
湯船に入って立つと、胸の位置までお湯なんです。
お湯の底は、砂利が敷いてあるのです。めずらしくて、面白い。
でこぽこしてるので、歩くと、足裏が気持ちいい。
二段の段差で入れるようになっているので、その段に座っていると、調度首までの位置までお湯です。
肩と首まで、たっぷりとつかれるので、とてもにあったまります。
お湯はかなり熱めです。普通は、ぬるいお湯に長めの時間ではいるのが一番あたたまるっというけど、ここのお風呂は、湯船が深いのでお湯が熱くて、それが気持ちよくて、ゆっくりはいっていたら、しっかり温まりました。このあと一日中体があったかくて、湯ざめもなし。

浴槽内は、ローマ風呂みたいな感じです。ローマ風の彫刻とか、ステンドグラスが、あって、珍しいのです。レトロな感じなのかな。そんなのを見ながら、お湯に使っていると、とても気持ちが豊かになりました。

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浴室内はさすがに撮影できず。残念です。

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お風呂の後は、二階にある食堂、休憩所で休みましたが、すぐ下が浴室のせいか、お部屋があったかくて、のんびり休憩。
休まりました。
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裏からみた片倉館。高い煙突がいまどきめずらしい。
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最後は、帰る前にちょっと諏訪湖を眺めました。
周り中が、山。
氷はもう、溶けちゃった。
今年も「御神渡り」みそびれてしまいました。残念です。

あとは、諏訪インターの手前で釜めしを帰って帰宅。

それにしても、首都高速。どうしてこんでいるんだろうか。はう。

お風呂よかったぁ。
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by civaka | 2012-03-19 08:20 | 旅日記 | Comments(1)
映画を見ながら、息子が幼かった頃のことを思い出していました。私の息子もオリバーのように、頭はいいゆえに、カンが強くて、育てるのが大変な子供でした。

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子供というものには、育てやすい楽な子供もいれば、ものすごく大変な子供もいます。いくら言っても聞かない。じっとしていられない。きがつけばいない。ちょっとしたことにすごく敏感。嫌いなものは、徹底的に嫌い。
そんな子供をもったりすると、いくらやさしくて忍耐強くても、子供好きでも、途方にくれて、放り出したくなるもので。

かなり頭のいいらしい少年オリバーは、その分かなりカンも強いようで、母親は、たぶん彼の幼児期にそのあまりの大変さに音をあげたんだと思います。アスペルガーでもあるらしいですしね。
そんな妻をみかねた夫が、オリバーの子育ての大部分を受け持つようになっていたのではないでしょうか。

子供はみんなそれぞれに個性的で、そんなわが子だけに通用する方法論を親は独自に考え出すもので、この物語の父親もまた、探検ごっこという方法で、オリバーをなんとか育てていこうとしていました。

父親を亡くした少年の喪失と再生の物語。だそうだけど、だとしたら、父親のなくなる方法は、事故死でも、病死でもいいのでは?
にもかかわらず、911事件がその原因である意味はどこにあるのでしょう。

それは、父の死に至るまでに、愛する人に死の寸前のメッセージを伝える時間があったということなのです。事故死なら、そういう時間はありません。病死の場合は、ありすぎる。

突然、けれど、少しだけ時間があって、そしてそこに死の予感のあった特別な状況。それがまさに、911事件でした。

そんな状況であれば、損得なく自分の一番愛する人、一番近い存在に連絡をいれ、メッセージを送るわけです。

オリバーの父もまた、妻と子に電話しました。妻はすぐに連絡が取れて、話もできました。そして、一番心配で、一番愛していたオリバーには、6回も電話を入れているのです。

その部分こそがたぶんこの物語の一番のポイントです。

メッセージを受け取れたかどうかです。
メッセージを受け取った妻。受け取りそびれたオリバー。

メッセージを受け取ることで夫の死に心の折りあいをつけることの出来た母。

けれどオリバーは、自分にメッセージを渡そうとした父を知っていながら、受け取りそびれた。まったく状況が悪くてうけとれなかったのなら、それはそれで、しかたないと、思えるかもしれない。けれど、オリバーは、彼にメッセージを渡そうとする父の声をききながら、受け取れなかった。

受け取りそびれたメッセージを求めていたオリバーは、ある日ひょんなことから見つけ出した鍵を父からのメッセージと、解釈します。鍵にはただ、ブラックと書いてあるだけ。父が彼に残したメッセージである証拠なんか実は、どこにもない。けれど、父からのメッセージがほしかったオリバーは、これが父からのメッセージだと、勝手に解釈しているわけで、そうすることで、受け取りそびれたメッセージを受け取ろうとするわけです。

でも、それは、実は、まったくちがうものでした。

さて、夫を失ったオリバーの母は、もう一度、オリバーと、自分だけで、向き合わなくてはならなくなってしまいました。とりあえず、父の存在によって成り立っていた家族は、父の喪失によって、また、原点にもどってしまったのです。

けれど、夫によってしめされた探検ごっこ。その方法論を彼女もまた、彼女なりの違った方法で、実践することで、オリバーの心に近づこうとしていたのでした。

父は、オリバーの探検ごっこに指示はだしても、直接付き合うことはしませんでした。おじいさんは、位置的には、オリバーと距離があるので、オリバーのブラックさん探しに随行します。けれど、彼女は、先回りして、オリバーがやりやすいようにと、訪問して頼んでいきます。
オリバーは、鍵穴の合う宝箱は、みつけることはできませんでした。でも、彼の探していたものは、みつけることが出来ました。それは、父と同じように、彼の心をわかって、彼の心を理解してくれる、彼に一番近いところにいる人。
父の死を乗り越えて、オリバーは、母親というあり得ないほど近い存在に、やっとたどりついたのでした。
母もまた、夫の死の先に、オリバーと同じブラックさん探しの共通体験による共感を通して、ありえないほどこの世の中で一番自分に近い存在であるわが子の心にたどりついたのでした。

父が示した探検ごっこの方法論を自分たちなりの方法で、体得したわけで、この先オリバーは、人生でこまったことに出会った時、この方法論を応用して何とか乗り越えていけのではないかと思います。



ところで、ありえないほど、自分に近いものってなんでしょうね。
親であり、子どもだろうなとは思ったけど、でももっと、自分に近いのは、自分です。自分の心です。

自分の心の感じる痛みは、自分に一番近いところにあって、そして、決して逃げることが出来ない。

その痛みはものすごくうるさい。ズキズキズキズキ。
いつでもどこでもつらくて痛くてしんどいものを自分あたえる。

けれど、ありえないほど近いものは、もうひとつあります。
自分の心が感じる喜び。

喜びとうれしさと幸せもまた、自分の一番近いところにあります。
ありえないくらい。

物語の最後にオリバーは、ブランコの裏側に、父が生前隠した「6区探し」の答えを見つけ出します。それを発見したオリバーの心の中には、やっと受け取ることのできた父からのメッセージをみつけた喜びが彼の一番近いところで、きらきらと輝いてあふれていました。

ものすごくうるさくて、ありえないほど近い@ぴあ映画生活
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by civaka | 2012-03-15 10:27 | 映画 | Comments(0)

結婚記念日

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3月12日は、結婚記念日です。
だから、お祝いにケーキを買ってきました。私は、基本的には、行事とか、誕生日とか、特別なことするのは、あんまりすきじゃないんですよね。実家がそういう家風というか、父がそういう人だったので。

去年は、地震で結婚記念日どころじゃなかった。
でも、あんなふうに、ある日突然人生が終わっちゃうなら、生きている間、生きていることを祝う行事は、大切にお祝いするべきかなと、ちょっと考え方を変えました。

震災の日の次の日が結婚記念日ってどうなのーっと、思っちゃうけど。
まあ、それはそれ。

今年は、おちついたので、記念日にご飯でも食べに行こうかなーっと、思ってたんだけど、娘がバイトで帰ってこないし、帰ってきても、ごたごたして、いきそびれてしまって、なんか悲しかった。

気持ちだけでも、仕切り直し。

なんか20年以上の年月。なのに、あっというまだった。気がする。
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by civaka | 2012-03-14 07:57 | つぶやき | Comments(2)

311から一年

一年たったということで、昨日今日あたり、テレビで、いろいろと特集されています。

去年の今日。息子はシュウカツの真っ最中でした。
午前中出かけていて、途中志望する会社のパンフレットをもらおうと思いつつ、結局もらわずに寄り道せずに早めに帰ってきていました。

そのあとの地震。本当に何度も何度も強くゆれて、すごくこわかった。
一時間か二時間か、かなり長い間、揺れていました。

その後も、何カ月も、微震が続いて、自分の感覚がわからなくなったくらいです。

テレビでは、東北の津波の画像が、何度も何度も流されて、ただ、そのすごさにみいるばかりでした。

その時、高校にいた娘に送ったメールは、娘の携帯に届くまでに、一時間半かかったそうです。
実家の母に電話したのは、翌朝でした。
母の方からかけた前日の電話はつながらなかったそうです。

娘は、普通に夕方、自転車に乗っていつもと同じように帰ってきました。
こういうことのために近くの都立に入れていたのですから。

主人は、会社から2時間半歩いて、9時ころ帰宅しました。

それでも、橋が落ちなくて、よかった。
近くても、橋が落ちたら、帰ってこれません。

この辺りは結構川があるので、橋が落ちてしまうと、移動できなくなってしまいます。
実際のところそれが怖い。

そういえば、子供が小さかった頃、幼稚園にいれるのに、「橋を渡らないといかれないところには、何かあった時こわいから、いれたくない」というお母さんがいました。
その話を他のお母さんにしたら、「そんなことまで考えていられない」と、一笑にふされましたが、今だったら、そうだねと賛同する人の方が多いに違いありません。

それまでは、地震といっても、どこかヒトゴト。
地震の対策といっても、避難訓練といっても、災害のための対応マニュアル作りといっても、本気で考えている人はいなかったし、誰かまじめな人が、本気で作ろうと言っても、だいたいは、「大ジョブ大ジョブ、そんなこと、真面目に考えたってしょうがない。地震なんかきっとこない。」と言われて終わってしまう。そんな、風潮がありました。

けれど、今回の事件で、それらのことは、本当にまじめに、考えられるようになったに違いありません。

ちなみに東京、首都圏の今一番怖いことは、地震の他に、大型台風による水没だそうです。東京湾があるから、津波は大丈夫だろうといわれていますが、温暖化の進む地球でだんだん脅威をます台風。それによって起きる水害。

こわいですね。

そういう異常事態にたいして、きちんと対応するようになってきたでしょうか。

できれば、風化せずに維持できるといいんですが。

ちなみに我が家は、ほとんどなにもやってません。
家具も補強してないし、水の備蓄もありません。

災害の時は、みんなバラバラに避難。最後は、自宅に集合でしょうか。



ところで、原子力発電のみなおしで、いろいろなところの「ちょっとやりすぎじゃない」と思っていた照明が、ずいぶん削減され、東京はだいぶ涼しくなりました。いいことだと思います。できればこのまま続いてほしいです。

先日テレビをみていたら、仮設住宅も「ものがありすぎてかたづかなくて困っている」そうです。
日本て、なんだかんだ言ってもやっぱり豊かです。

我が家にとっては、この事件で一番の被害をこうむったのは、息子でした。
なにしろ、この地震で会社の採用計画がごちゃごちゃになり、例年よりも長期戦になりました。いつもの年より採用試験を大幅にずらす会社も多く、そのせいで倍率も跳ね上がり、いつまでたっても結果の出ない就職戦線にシュウカツ生は疲れ果て、例年の常識が通じず、何が何やらもうぐちゃぐちゃでした。
本当に大変でした。
それが果たして、よかったのか、悪かったのか。



時間です。


黙とう。



ちなみに、もし、地震のおきたのが夜中の2時だったら、夜中に起きて黙とうするんでしょうか。

最近流布している首都地震70%説。正確には、50%以下だとか。
それでももう、果しなく怖いです。

今回の地震でなくなられた多くの方のご冥福をお祈りしつつ、個人的な記録記事でした。
去年なんだか、記事にする気もおきませんでした。
今頃の記事アップ。
とりあえず、のちのちのために。
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by civaka | 2012-03-11 15:05 | 社会のあり方を考える | Comments(2)

『下町ロケット』

いい作品でした。
小説の存在自体はしっていたけれど、こんなに現代社会のメーカーの現実をリアルにえがいてある作品とは知りませんでした。原作はよんでいませんが、ドラマとしてみて、とても面白かったし、考えさせられました。

そして、この物語に描かれていることは、決して、作者の創造にとどまっていません。実際に、今の社会に起きていることです。

世界中のメーカーがしのぎを削って技術開発をしていく中で起きる、にたような技術を同時進行で研究していたために起こる知的財産権争い。やっと開発を終えたと思ってしらべてみれば、他の会社がとっくに開発し、特許を取得してしまっていたり、よく似た技術が微妙な違いでそれぞれに特許をとっていたり。そのために、知的財産権を争う訴訟が起きたりしています。

けれど、どこのメーカーもなけなしの予算で必死に技術開発しているのに、特許のとりあいや、訴訟によって、余計なエネルギーやお金をかけていたら、世界中の技術者の大切な能力の無駄遣いなのでは。

このドラマでは、訴訟が国内の企業同士なので、マスコミや世論を操作することで、下町の中小企業がなんとか勝つことができましたが、日本の企業が海外の企業から訴えられた場合、マスコミや世論による援助は、期待できそうにありません。

そんな時、いったいどうしたらいいのか。

これからさき、技術の特許にからんで訴訟なんてことをメーカー同士で世界的にやっていくようなことがブームになったらどうするのでしようか。

今現在、中国でも、アイパッドが特許問題を起こしています。

世界的にもう、特許をかけて訴訟や権利争いをするより、なるべく研究段階でオープンにし、同じことを研究している研究者どうし、一緒に研究できるような、環境や、世界共通認識、理解、が、必要になるのでは。

少なくとも、このドラマのような、大企業が優勢になって、小さな企業をつぶしていくような社会常識は、改善されるべきものだと、思いました。

お金と労力をかけて、開発した技術。特許という形でその知的財産権は、守られるべきもの。たしかに今までは、そうでした。でも、その特許というもののせいで、逆に訴訟問題がおきたり、技術の取り合いが起きたり、会社が潰される結果になるのなら、知的財産権の保護、特許というありかたは、もしかして、間違っているのかもしれません。

もっと、オープンに同じことを研究したい者同士、同じ場に集まって、一緒に研究していけるような、技術界の場や、新しい常識が、あってもいいのではと、考えました。でも、これを実現するのは、すごく難しいだろうとは、思います。

たぶん、権利としての独占ではなく、特別な技術研究開発をした人は、公共のものを生涯無料で利用できるとか、大学の教授クラスの資格を得られるとか、国家が生涯給料をはらうとか、世界レベルの技術機構を創設して、特許レベルの技術者に給与をはらうとか。

そのかわり、彼らの開発した技術を、世界中のメーカーが、その世界技術機構に所属するかぎり、使えるというようなシステムを作っていくとか。



ただ、このドラマでは、世界レベルの技術を下町の企業が持っていることで、大企業と対立して、勝ちをえているわけですし。

けれど、このドラマのツクダ製作所が、大手企業に勝てたのは、特許だけでなく、その特許を使って製作する製品を作りだす製造技術を持っていたことでした。

特許技術だけがすべてではありませんでした。

メーカーですから。製造技術がもつ部分も大きい。

もし、特許が世界レベルで共用となった時、メーカー同士の勝負を決めるのは、その製造技術なのでしょう。


ドラマでは、多少大手を悪く描きすぎている、下町の企業を美化しすぎていると思える部分もありましたが、ポイントは、技術者同士のプライドのせめぎあいだったと思います。

プライドにこだわるのは、大事なことだけど、プライドにとらわれてしまうのは、よくないことだと。

今、どんどん海外に工場を作って、安い現地作業員を使っていったり、コンピューターや機械による生産がメインになっていく中で、手作りの最高品質の製造だけは、そんな簡単に国外に出せるものではないようです。

メーカーのリアルな現実をみせてもらい、とても為になるおもしろい作品でした。

   
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by civaka | 2012-03-06 10:46 | ドラマ(dvd) | Comments(0)