映画の記事はネタバレつきです。あしからず。

by civaka

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『孤島の王』

人間の尊厳とは?

悪いことをしたら、どんな扱いを受けても、しかたないものなのか?
悪いことをした人間はもう、人間じゃないのか?

いいえ、人間というのは、悪いことをするもの。
誰でも、多少の差はあれ、してしまうもの。
未完成で、未熟なそして、知性を持った生き物であるからこその、存在。

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ノルウェーの少年矯正施設を舞台にした物語です。
少年院みたいなものだと思いますが、舞台が孤島なので、逃げられません。
そして孤島ゆえになおさら、中で何が起こっているのか、
外の世界からは、わかりにくい。
良くも悪くも、です。

バスタブもとい、バストイ島。

ここに送り込まれた少年たちは、みんな、悪いことをしてつかまって、矯正して、いい人間にしようと、教育されるはずの場所。
けれど、矯正にしては、結構厳しい。
寒い原野での過酷な作業。

ただ、彼らのやっていることは、普通に労働者がやっていることだと思います。
トイレのし尿の処理だって、木を切る作業だって、大人の労働者がどこでもやっていること。

働くことで学ぶものはあると思う。

けれど、ここの寮長というのが、ひどい人物で、少年のうちの一人に性的虐待を始める。
少年を自分の欲望を満たすための道具として扱うわけです。
そして、使用人に対しても、さげすんでいて、人間扱いしない。

強制労働や扱いのひどさはしかたないと、ある程度絶えていた彼らも、自分たちの同抱の一人をもの扱いする寮長に対して、さすがに怒りだします。

それまでずっと我慢していたものが、寮長の事件をきっかけに爆発する。

クビになって出て行ったはずの寮長が戻ってきた。しかも、寮長からの性的虐待に耐えきれずに自殺した少年の自殺の原因を、自分たちのいじめのせいだと、うその告発をした寮長に対して、怒りは、マックスにたっし、少年たちは、寮長を殴りつるし上げにし、クーデターをおこして、他の大人たちを襲い、院長を追い出す。

けれど、そんなことはずっと続かない。やがて、軍隊がやってきて、あっというまに、彼らは制圧されてしまいます。


物語中で、悪いことをしたのは、少年たち。
と思ってみているけれど、実は、少年たちをさげすみ愚弄し、モノ扱いする、この島の大人たちもまた、悪人。
少年たちに与えられる食物などの生活品を買うための予算を着服して、私服を肥やしている院長もまた、悪人。

悪人とそれを正す人のたちという対立する二つの人間のいる場所のはずだけど、実際には、島にいる人間すべて悪人です。

悪人が悪人を矯正出来るはずもなく。

この矯正島のシステムは、管理する大人の側もまた、悪人になりうる可能性を持っているってことが、かんがえられていなかったというのが、たぶん、盲点であり、システムの欠点だったのではないかと思います。

少年を管理するその大人をさらにきっちり管理する存在が、必要だったのでしょう。

それはもう、国を管理しているはずの政治家がやっぱり、汚職をしているのと同じだね。

そしてまた、悪人であっても、人間として、その尊厳と生きる権利は、尊重されるべきなわけです。
後半、少年たちにつるし上げにされ、燃やされた納屋の中で燃やされそうになった寮長は、主人公のエーリングによって、助け出されます。

寮長も悪人ですが、悪人でも、人間なので、やはりその尊厳は、守られなければいけない。

すでに、島を出られるはずだったオーラブを逃がすために、エーリングは、歩けなくなったオーラブを背負い、すでに凍って、歩いて本土にもどれるようになっている海の上を歩いていく。
割れた氷の間の海に落ちてしまってもなお、オーラブを助けようとしたエーリング。

なんでこんなところに送られたんだろうと思うくらい、主人公のエーリングは、すごい少年ですよ。
優しくて思いやりがあって、行動力も意志の強さも頭の良さも抜群です。
誰かにはめられて、無実の罪をきせられてここにきたのかなと、想像してみる。




性的虐待シーンのはっきりした描写などはなくて、見ている人に察してくださいという感じ。

ラストの軍隊が島にやってくるシーン。雪原にずらっとならぶ兵隊さんたちが面白かったかも。

最近の売れ線の新作よりずっとみごたえがあって、面白く、そして、いろいろと考えさせられる映画でした。

悪いことをした人間は、さげすまれても、どんな扱いをされても、いいんだと、思ってしまうものだけど、そして、今までの考え方ってそんなだったと思うけれど、本当にそうでしょうか。

悪事なんて、きっかけさえあれば誰でもやってしまう可能性を持っているわけで。

だから、監獄を管理する立場の仕事につく看守とか、ってだんだん、その立場にいるうちに、自分は正しい人間で、だから、悪人たちを虐待しても、モノ扱いしてもいいんだと、だんだんだんだん、思いこんでいく。そんなことをしているうちに、だんだん看守であるはずの人間もまた、だんだん悪人になって行く。
そんな世界というか、監獄ってそんなジレンマを持っているのかもしれません。

映画『エス』でも、実験として、学生を囚人と看守に分けて、生活させていくうちに、看守の側の学生が、囚人の側の学生を支配し、虐待し、さげすみ始めたように。

人は立場や役職によって、その意識を変えられて行ってしまうかもしれません。

こわいですね。

だから、こういう施設をつくる時、管理する側の人間はだんだん囚人側の人間に虐待を加えるようになる可能性があるわけで、それを考慮して、こういう仕事は、必ず、二年くらいできっちり交代させて他の仕事に回すというような制度にしたりとか、そんな必要があるんじゃないかと、思ったりする。


そして、だからこそ常に、人には人間としての尊厳があり、守られるものだと、意識し続けなければいけないのかもしれません。


孤島の王@ぴあ映画生活
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by civaka | 2013-06-30 10:12 | 映画 | Comments(0)
多崎つくるを読み終わったら、「今度はこれ読んでみ」と、娘にすすめられたので、読んでみた。
インフルエンザもてつだって、なかなか進まなかったけど、とりあえず読了。



生きていればつらいことは誰にもいっぱいあるわけで、どこかに行きたいとか、違う世界に行きたいとか、今ある自分の現実から逃げだしたいと思ったことのない人はいないんじゃないかと思う。

脱リアルは、なにも、主人公カフカ少年だけの話じゃないだろう。

じゃあ、今あるこの現実を抜け出すとすると、どこにいくんだろう。

一番つらい場合まあ、まず考えるのは、天国。
死んじゃいたいなぁ。死んだら今のこのつらいリアルをぬけだせる、とは、まあ、誰でも思うこと。
でも、死ぬのはそれはそれでやっぱり、勇気のいることで、なかなかそこまではいかない。

で、次に考えるのは、まあ、とりあえず、遠くに行くこと。
わたしも若い頃よく、つらいことがあると、砂漠にいきたいなあと、思ったものです。

人もいない、何もない。ところ。
人もなくなにもなければ、つらいことの発生源もなくなるわけで。
わずらわしい他人も、いろいろなうっとおしいものもなければ、さぞやすっきりさっぱりで、気持ちいいだろうなぁと。

で、主人公のカフカ少年も、折り合えない父親、母も兄弟もいないつめたい家庭という、およそ子供には、不似合いな場所から、逃げ出すことを考えるわけで。

本好きの彼があこがれていた、幻想世界のような私立図書館。
そして誰もいない、山小屋。
たったひとりだけで、暮らせる空間。

生きることがつらくなる理由はほかにもあるわけで、運命の相手とも言えるほどの絶対的な伴侶をある日突然なくした佐伯さんもまた、脱リアルを望んだわけで。

それは、現実不適合とはまた違う苦しみ。

ここではないどこか。
リアルとは全く違う異空間世界。

それはいったいどんなところなのか。
あるいは、人によって全く違うところなのか。

そして、佐伯さんは、なぜかどういうわけか、その異世界の入口をみつけてしまう。
ふつうはまあ、どんなに願っても、まずめったにあり得ないんだけど、そこはそれ、やっぱりさすがに、小説だからね。

異世界に入った佐伯さんはそれでも、生きるために現実に戻ってくる。彼女の戻ったきっかけは、母親の葬式。つまり、母親の呼び声。

けれど、何とか生きているけれど、かつての恋人にそっくりなカフカ少年に出会ってしまったために、もういちど、その魂が体から離れてしまう。

生霊のように、眠った時、彼女の魂は、恋人のいる図書館に少女のこころのまま戻ってきてしまう。そしてさらに、恋人そっくりのカフカ少年の求めるままに、体までが心にひっぱられて、彼のところにやってきてしまう。

もう、彼女の心を魂を彼女の体にとどめておくことは出来ないぎりぎりのところに来てしまう。

つらい現実の厳しいシッョクによって、いっきに体から心が離れ、同じように異世界にいってしまったナカタさんもまた、異世界を知っていた一人。

彼もまた、母の呼び声によってリアルに戻ってくるけれど、心の一部を異世界に残したままの彼には、リアルを強く生きることも出来ない。

一見元気いっぱいにみえる星野青年も、女から逃げてばかりいた。女と付き合うということのそのさきにあるのは、結婚して、子供をつくって、人としての責任を引き受けて生きていくということ。それが嫌で逃げてばかりいた星野青年は、ナカタさんと出会って、責任を引き受けて、リアルから逃げずに生きていく覚悟を決める。

物語の中でただ一人、リアルから逃げずにむきあって、生きているのが大島さんなんだと思う。
性同一性障害の彼(彼女)のリアルもまた、とてもきつくてしんどいものだと思う。
彼はまず、学校に行くという社会の規範に従うことをやめる。
それに従っていれば、それは自分を追い詰め、死に至らしめるものだからだ。
死に至らしめるような社会の規範なんて、まもらなくていい。
というか、守らない方がいい。
けれど、自分なりに勉強はしてるわけで、学校は、勉強と社会を学ぶところだから。
そして、社会という集団の中に自分を置くこともやめる。
一時期彼がこもることのできた山小屋を持っていたことは、彼にとってなんとラッキーなことだったことか。
ふつうはなかなかあり得ないからね。

誰にとっても、一人になる空間と時間は必要なものなのだろう。

彼は彼なりに、周りの助けをえて、彼なりの人生を構築している。
それは、カフカ少年にとっても、他のいろんな人たちにとっても、生き方の一つの大きな見本ともいえる。

大島さんのお兄さんも森の中の兵隊さんを知っていたわけで、お兄さんでさえ、一時期、生きることがとてもつらくて、異世界に逃げたことがあるわけで、その兵隊さんを知らないってことは、大島さんは、リアルを逃げ出すことはなかったわけで。
強いなぁ。

カフカ少年の訪れた異世界は、すべての人にもあんな風に見えたのか。
それとも、彼だけの見える世界なのか。

戦時中に、逃げ出した、二人の兵隊さんもまた、戦争にいかなければならないという現実から逃げだしたわけで。でもこれはもう、逃げ出しても当然の現実だと思うしね。

異世界でカフカ少年がみた映画『サウントオブミュージック』のファミリーもまた、戦争というリアルから逃げ出した人たちの物語であり、そこで、彼らは遠い異国に渡り、歌を歌いながら、巡業して、暮らしていたそうですが。

でも、カフカ少年の世界には、戦争はないし。

優しい母親を愛する男の子にとって、母親は運命の恋人。
でもその恋人には、父という伴侶が既にいて、父親を殺さない限り、母と結婚することは出来ない。
けれど、母をもたないカフカ少年には、父親を殺すための正当な理由がない。

少年を現実に引き戻し、つなぎとめる力をもつのが母の呼び声であるのなら、その代わりとして、彼が母であるかもしれないと思った、佐伯さんが、彼の異世界の中で、彼を現実へと導くしかない。

そして、男の感性と、女の感性をあわせもつ大島さんによってやっと、カフカ少年は、現実を生きる覚悟をする。

学校をでて、社会にかかわり、自分なりの自分の人生を受け止めて、生きていく。


この物語において、大島さんとともに物語の中の人物たちの重要な導き手だったナカタさん。
カフカ少年が殺せなかった父親をかわりに殺し、中途半端に開けられていた異世界の入口を開き、星野青年を悟らせ、佐伯さんと、自分自身を異世界に戻しました。星野さんが最後閉じてくれたし。
ナカタさんのキャラが好きでした。
というか、この物語のキャラクターはどれもみんな不思議に魅力的で、わけわからない物語を読ませてくれたのは、彼らの力です。

ここまで書いたけれど、まだまだこの物語には、謎が多くて、全部はまだまだ解明できないです。不思議だらけ。

カラスといわれる少年は、異世界にのこしたナカタさんの影の残りなのかなとか、なんで猫とはなせるのかなとか、魚が降る理由とか、ジョニーウォーカーや、カーネルおじさんや、異世界からでようとしている不思議な者とか。人の力の及ばない領域の力?
なぞだらけ。相変わらず。



えっとー、最近は、小説を読みながら、映画化かまたは、ドラマ化するとしたら、
どんな俳優さんがいいかなーとか、考えてしまう。
カフカ少年は、神木隆之介
佐伯さんは、原田知世
ナカタさんは、坂上二郎(むりだけど)

大島さんは、むずかしすぎる。
星野青年はモテ系なら誰でもいい。
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by civaka | 2013-06-13 12:40 | 読書ノート | Comments(0)

2013 AKB48総選挙

ファンは、よく見てるんだなぁ。

ただ可愛い女の子じゃなくても、やっぱり、性格の良さや人間性をちゃんとみてるんだね。
さしこは、さばさばしてて、裏がない。
頭もいいし、やさしい。

一位が決まった時、周りの後輩たちがみんなそばによって、おめでとうをいっていた。
人が集まる人間なんですね。

かわいいから、
人気があるみたいだから、

そんな理由でセンターをきめてみたり、躍らせたり歌わせたり、

プロデューサーやスタッフは、ファンの気持ちを掴んでるようでいて、どこかで外していたんでしょうか。

じゃんけん大会だって、人気のある子があんなにうまく優勝するなんて、できすぎてるし。
なんかうらがありそうだし。

順位に一喜一憂しているメンバーや、観客や、ファンや視聴者は、やっぱりおどろされていただけなんだと、はっときずかされて、魔法が、さーっととけた、一瞬でした。

毎年毎年きりきりきりきり順位にはらはらしてたのに。なーんだばかみたい、大したことのないもにのに、おどらされていただけなんだ。

と、優子ちゃんもきづいちっゃたんですね。

さしこは、わずかこの数年で、企画する側の計略を、すぱっと乗り越えちゃった感じです。

優子ちゃんも順位やセンターを追いかけるのをやめてもっと自分をだしたら、来年また、1位になるだろうにともおもっちゃう。

九州票がぜんぶさしこにはいっていそうなきがするけど、地方票の力ってやっぱりすごい。こわいくらい。自民党が強いのもだからなんだろうな。

そして、地方票の怖さもしみじみわかった。
地方票って、地元を愛しすぎていて、全体をみていない。全体のことなんか考えていない。
さしこがセンターになったら、ちょっとAKBはこわれちゃうんじゃないかって、さしこを好きな気持ちとは、別なところで、ほとんどの人が考えたと思うけど、

議員選挙の時、地方の人は自分たちの票が日本全体に影響するなんて、考えてないんだろうな。

議員に立候補するひとは、議員になるためには、地元で地方票を確実にとらなきゃならなくて、そのためには、日本のこと全体より、地方を優先して考えなくちゃならなくて。

そういうことを普段は、そういうものだと思ってるけど、

AKBでだれがセンターになるのがいちばんいいかってことと、自分がAKBの誰を好きで、だれを応援したいかはべつなことだけど、その票がAKB全体に影響するなんて、考えもしないだろうし、

選挙ってこういうことなんだって、すごくわかったイベントでした。



株や円高の数字にやっぱり一喜一憂してるけど、ある日突然さーっと魔法が解けることもあるのかなぁ。


さしこセンターの新曲たのしみです。
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by civaka | 2013-06-09 22:12 | 社会のあり方を考える | Comments(0)

バンデミック

夫の会社の人が金曜日にインフルエンザで会社を休んだという。

それってもう、うつってる?

うつってました。
土曜からせきが出始め、
月曜日に医者に行った夫は、A型と言われたと言って、薬をもらって帰って来た。
火曜に私もマスクをつけて医者に行って、事の次第をつたえ、
やはり、A型といわれ、その夜から熱も上がり、翌日には、吐き気も手伝って、夜も二時間おきに目覚めて水を飲みつつ、最悪。

頭は痛いし、咳は出るし、タンは出るし、熱はあるし、ものすごく寒気はするけど、ふとんかけると暑いし、ちょっと寝ると、汗だく。

こんなしんどいのは本当にもう久しぶり。
子供の小さいころ。
親子でインフルエンザになって、がんがんする頭で子供を自転車にのせて、医者に連れていった。思いだします。
若かった。
今はもう年なのでとてもあんなにがんばれない。
年だから、自分の具合悪いのだけでも、きつい。
年取ったら、インフルエンザぐらいでも、死んじゃうなぁ、確かに。

それにしても、夫と私の発病がほぼ同時。
インフルエンザってこんなに感染力あったっけ?

子供の頃は、注射うってもらって、あったかくして、汗をかくことで治していました。
汗でぬれたパジャマを何度も着替えた。
でも子供のころは、自分の風邪のことだけ考えていればよかった。
大人になると、たとえ病気でも、着替えたパジャマはじぶんで洗わなきゃならない。
そう思うと、着替えづらい。

すでに成人した娘は全く役に立たない。
洗濯もご飯も、何にもしない。
一緒に住んでいるのに、病人の大変さがまったく分かっていない。

私も子供のころはわかってなかったなぁと、思い出す。

それにしても、せめてたのんでいる皿洗いすらなかなかやらない。

ことの大変さをさっして、こちらがなにもいわなくても、大丈夫?なにかできることあればやるよといえる子なら、就職だって、一発で決まるだろうに。と、思う。

人の大変さや、他人の気持ちが察することのできないのは、うちのこだけだからなのか、今の子はみんなそうなのか。

人を育てるって難しい。

うちの親には、何でも出来ないことはみんなお前が悪いからと言われて、怒られてばかりいた。
子供ってみんなそんなものだと思う、そういう想像力も私の親にはなかった。と、思う。
そしてそのたびいやな思いをした。

かといって、わが子を一切しからずに、いやな思いもさせずに育てるわけにもいかない。

自分でしんどい思いをしなければ、人はなかなかわからない。


さて、このインフルエンザ。
夫の会社の人は、どこから貰って来たんだろう。
今年は、5月にはいってすぐ、クールビスといって、半袖シャツで出社し始めた。
いくらなんでも、5月からクールビズは、早すぎると思う。
まして、今年の5月は意外に寒かった。
そんなことを強制していれば、社員が早々に風邪をひくのも無理はない。

暑いのにスーツを着て、寒いのにクールビズをして、あいかわらず、、融通の利かなさは変わらない。

この自主性のなさが、夫といい、夫の会社のインフルエンザの感染源のひとといい、うちの娘といい、世の中のセールスマン、そして、日本の慣習が、みーンな同じだと思う。

インフルエンザが流行るのも、就職率が悪いのも、推して知るべし。

今日やっと、熱が下がって来た。

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by civaka | 2013-06-06 11:22 | つぶやき | Comments(0)