映画の記事はネタバレつきです。あしからず。

by civaka

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人にとって一番大切なものは、誇り(プライド)じゃないんだなと。

そういうお話なんだと、思った。

私が若かった頃に話題なった映画。だけど、特に当時は、観ようとは、思わなかった。
息子に知ってるかと聞かれて、そういえばそんな映画があった。と、思いだした。
当時話題で、すごい映画なことは確か。
ぜひ見るといいよっていって、自分も見てみるかと思った。
昔の作品すぎてもう、ビデオ屋にはなくて、公立図書館で発見。
先にみた息子はすごくよかったと言っていた。

ストーリーの構成がすごくよくできていた。
日本軍がこだわる命をかけても守るべき、日本人としての誇り。

イギリス人がこだわる、英国紳士、ナイトとしてのプライド。

けれど、もっともっと大切なもの。
その描き方が実にみごとだ。


誇りより命の方が大事だろう。そりゃそうだ。
そんな当たり前のこと、どうして忘れちゃうんだろう。人間て。
命を守るために、自分のほこりをも捨てされる勇気。それこそが最高の人としての誇りだ。

それにしても、大島渚は、制約された男性社会をはなしの舞台にするのが好きですね。
以前見た、『御法度』も、新鮮組という男性に制約された集団社会の話。
男性だけで、社会をつくると、こんな風になるのか。

ただ、人には感情があるのだということを考慮に入れずに、集団の規範を作るのには無理があるというか、
人というものには感情や、心があり、理性や理論だけでは、ルールを作るのは無理なんだということを
これからの社会を作る上で考えていくべきなんだろうと、思う。

それにしても、世界的ミュージシャンで、世界有数の美貌の持ち主であるデヴィット・ボゥイ。
老若男女誰の目で見ても、ものすごく魅力的で、きれいな人なんだなと、つくづく思った。
よくこのひとを映画に出すことが出来たものだと、改めて感心する。
でも、すごくいいシナリオなので、このシナリオをよんだら、オーケーしても不思議じゃないかも。

デヴィット・ボウイ、坂本龍一、タケシ。
当時の世界有数の天才ばかりを集めて作った、なんともぜいたくな映画だ。

補足
一目で、セリアズ少佐(デヴィット・ボウイ)の虜になったヨノイ大尉(坂本龍一)。
クライマックス、大尉が自分に惚れてることを利用してセリアスは、俘虜長ヒックスリーを助けるために、恥もプライドもかなぐりすてて、ヨノイにキスをする。この時、ほんとにいやそうなんでよねぇw。惚れた相手からの突然のキスに驚き、力の抜けてしまったヨノイ。俘虜収容所中に自分の本心が知れてしまったヨノイは、好きな相手からのキスの歓喜と、ばれた羞恥心とどっちが大きかったんだろう。
かつてエリートとしてのプライドを優先して自分の弟を助け損ねた後悔に苦しみ続けたセリアズにとって、この場面はとても大切なものだ。たとえこの後に、彼の死が待っていようとも。

メリークリスマスという言葉が、死刑の免罪を求めるキーワードとなっていることに気付くのにちょっとかかりました。
命より誇りを優先していたハラ軍曹(たけし)が、ラストで、ローレンスに自分の本心に素直になって、命乞いをするシーンが、圧巻なわけですが。

もちろん、この時、ローレンスぐらいの立場で、ハラを救えるわけもなく。そんなことは承知の上で、ハラは、自分は誇りより命の方が大事だと、わかるようになったんだよと、言っているわけで。ローレンスもまた、そんなことは承知の上で、それでも、ハラを助けてあげられないせつなさを持ちながら。そして、このあと、ハラが処刑されだであろうことも想像に難くないわけですが。

人にとってそもそも死というものは、個人の判断によって決定出来うるはずのもの。それにもかかわらず、人というのは、日本であれ、外国であれ、国や宗教や時の為政者、あるいは、社会の共通価値観によって、その死の決定を支配されている。宗教によって、自殺を禁止されている西洋社会も、武士の誇り、日本人の天皇陛下の臣民としての誇りによって、死よりも誇りの優先される日本の社会も。

私たちはこんな風にして、知らないうちに、自分の死までもが、自己の選択を許されないようになっているのか。
今、過剰な医療によって、医者たちによって、国家によって、法によって、自分の死までもが、健康までもが、国に支配されるのは、なぜなのか。

人生の最後を自分自身の意思で選択できる自由だけは、失われたくないものだと、思う。


・<a href=http://cinema.pia.co.jp/title/3096/>戦場のメリークリスマス@ぴあ映画生活</a>




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by civaka | 2014-07-25 22:30 | 映画 | Comments(0)
メタボ検診の受診率をあげて、健康率を上げて、その結果を使って、医療器具を世界に売る計画らしい。

医療器具を売るために国民は、サンプル品扱いなのでしょうか。

それって、原発をうるために、福島が犠牲になったのと、パターン同じ。

それでなくても、今、検診の数値の根拠があやふやで、血圧とかいろいろと既成の数値が改正されようとしていて、
そもそも検診自体の効果だって、あやしいのに、こんないい加減な国家戦略計画ってなんなんだろうと、
新聞を読んでいて、思った。

検診で、異常者を探しだしてみたところで、血圧の正しい治し方なんてないし、いまでてる薬はどれもこれも、本当に効くのか怪しいし、医学的な正しいデータも、まだまだでてない。さらに、コレステロールだって、本当に高いと体によくないのかもあやしいし、そのデータだってまだまだたりない。

がんだって、発見したところで、どうせ治らないし、意味もない外科手術を強制されたり、つらい抗がん剤を飲まされたり、やたらお金ばかりかかったり、死期がわかっちゃったり、患者にとってろくなことがない。

検診で意味があるのはせいぜい、生活改善の意識がたかまって、そのせいで、いままで不摂生な生活をしていた人が、健康になるくらい。
遅くまで残業して、夜更かしして、お酒飲んで、油だらけのやたら高カロリーなものをたべていたおじさんたちが、不摂生をやめたことで、50代の死亡率がへったくらいかも。

そういえば、昔は、男の人は50代でよく死んでいた気がする。

それだけは変わったのだろうか。でも、それって医療器具のおかげでも、薬のせいでもないよね。
とにかく、検診するなら、その結果でみつかった病気をきちんと治せる治療法をきちんと確立してからにしてほしいものです。





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by civaka | 2014-07-14 06:25 | 社会のあり方を考える | Comments(0)