旅行や、都内散歩、関東近辺の日帰り旅行、普段の生活や思ったことなど書いてます。

by civaka

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アフリカとは何か 補足

いろいろと書いた後で、ついでに息子にも、聞いてみた。
なんでアフリカは発展しないのか。

彼いわく、

ヨーロッパなどの先進国から、武器がアフリカに入っていて、その武器によって、内紛が続き、終わらないのだそうだ。
選挙をしても、反対勢力がその選挙結果に対して、不正があると言い出して、選挙結果が覆されたり、それをきっかけにして、内紛が起きたり、して、永遠のループが続いて、いつまでたっても、政情が落ち着かない。

あるいは、ヨーロッパが、廃棄物をアフリカに捨てる。
その廃棄物によって、海が汚染されて、漁業ができなくなる。
仕方ないから、入手した武器によって、海賊をする。

ヨーロッパは、武器を売りつけたり、廃棄物を捨てるために、アフリカが重要な価値を持つ。
アフリカが壊滅しないように、とりあえずの支援をする。
でも、それ以上のことはしない。

実質的な植民地のようなものだ。

ちなみに、アジアの場合は、日本軍が占領時に当時の現地の人々に武器によって戦う方法を訓練していったので、
戦後もう一度やってきた勝手の植民地支配国に対して戦った。
日本人が西洋各国と戦うのを見ることで、アジア人でも西洋に勝てるのだということを認識したことも大きい。

かつて、西洋列強国が次々に強大な武力で植民地化していくことにとてもかなわないと、支配されてしまっていたけれど、
そうじゃないと思ったことで、自分たちで、自分たちの国を作り始めた。

かつて、江戸末期、西洋が巨大な大砲をつんで日本にやってきたとき、日本だけは、その大砲に恐れをなすのだはなくて、
見よう見まねで、あるいは、現物を調べつつ、自分たちでも、大砲を作ってしまった。
そんなことを考えるのは、日本だけだそうだ。

植民地化されになかったタイもまた、映画「王様と私」を見てもわかるように、早くから、西洋の文明を取り入れていた。

けれどそれにしたって、やっぱり、アフリカは、自分たちの国をなんとかしようという建国の士はいないのだろうか。

私なりにもう少し考えれば、アフリカの国境を全部リセットして、もう一度民族ごとに仕切りなおせないのか。
もっとももうすでに、いろんな民族が入り混じってしまっていて、むずかしいだろうか。

一切の武器の輸出入の禁止もまた、難しいのだろう。

武器だけが原因なのかは、わからない。


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by civaka | 2016-10-27 18:22 | 社会のあり方を考える | Comments(0)
walk for water の記事を書いてから考えた。
なんで、アフリカの人たちは自分で井戸を掘らないのだろう。
だって、かなり前から、井戸掘りの支援はしているはず。
それをみて、自分たちで、作ることだってできるはず。
たとえ、稚拙な井戸であっても。
そもそも、なぜ水場に住まないの?
日本だったら、山が多いせいもあるけれど、ほとんどの村は、川のそばにあるし、
井戸だって、かなり昔から自分たちで掘っている。

というわけで、ネットで少し調べてみた。

そもそも、アフリカは、定住型農耕社会ではなく、いまだに、移動型の狩猟生活をしているらしく。
定住しないのなら当然、井戸なんて、掘らないし、意味ない。
だとしたら、先進国がやっている支援に意味もない。

アフリカは、いまだに、原始時代と変わらないのだろうか。
テレビで見るかぎり、アフリカの国の少なくとも、首都には、高層ビルも建っているし、先進国の都市と変わらないように見える。
けれど、それは、都市部だけで、普通の人たちは、いまだに、狩猟生活をしているのだとしたら、
それは一体どういうことなのか。

現地に行ってみると、都市には、実のところ、何にもないらしく。
そして、先進国の支援は、ほとんどが、搾取され、一部の政治家だけが、先進国のような裕福な生活をしているだけとか。

そもそも、先進国の要求する先進国的文化生活は、
西洋的価値観のおしつけにすぎないのではないのか。

文化人類学的には、西洋の文化的社会がすべての最終形態なのではなくて、
それぞれの国のそれぞれの地域のそれぞれの暮らし方は、
それはそれで、完成したものなのだと、
何かの本でも、読んだことがある。

西洋的価値観を世界中の国に強制することが果たして本当にいいのだろうか。

アフリカの国々がいまだに、移動型の暮らしをしているのは、彼らにとって、それが一番の完成形だからなのかもしれない。

確かに、現代の文化的な暮らしであれば、飢餓もなく、病死もずっと少なく、快適で、長命な人生と生活があるけれど、
はたしてそれが、一番いいこととも限らない。
社会に縛られず、経済にも、法律にも、税金にも縛られない暮らし、無駄に、長生きせず、運命のままの人生を送ることを選択してもいいのではないのだろうか。

あるいは、先日読んだ『言ってはいけない 残酷すぎる真実』の中に、書いてあったのだけれど、
人種による知能の差が存在する。
アメリカの研究者アーサー・ジェンセンの論文によると、
記憶力はすべての人種が持っているけれど、概念理解の能力を持っているのは、白人と、アジア系であり、
黒人とメキシコ系ヒスパニックは持っていないのだそうだ。

もちろん、アメリカに住む黒人の中には、優れた頭脳で社会的地位を築いている黒人もいる。
けれど、彼らの中には、長い年月を通して、いろいろな形で、白人の血が入っているわけだし。
昔やった、アメリカのアレックス・ヘイリーのドラマ「ルーツ」の中でも、持ち主である農場主に犯されて、子供を産む黒人奴隷のシーンもあった。

もし、本当に概念理解の能力がないのだとしたら、どんなに先進国が教えても、アフリカの黒人には、文化的社会を作り出すことはできないのかもしれない。

東南アジアが、植民地時代を乗り越えて、いま、それなりに、文化的国家を作っているにも関わらず、アフリカが21世紀の今ですら、原始時代と変わらないのには、そんな理由があるのだとしたら、いま数々行われている支援のほとんどすべては無駄なのかもしれない。

それは、永遠に大人にならない子供をずっと扶養していく覚悟が必要だ。ということだ。

さもなければ、彼らには彼らのもつ世界をそのまま認めていくことしかない。

アフリカ大陸の中で、どれほどの飢餓や、疫病の蔓延があったとしても、これ以降一切手出しをしないということだ。
それでも少なくとも、アフリカには、戦争はない。
第一次世界大戦も、第二次世界大戦も、一部を除いて、アフリカ大陸の上を通り抜けていったのだから。

だとしたら、walk for waterのような、支援もすべて、無駄なのかもしれない。
このイベントがあまり広がりを見せず、日本での知名度が低いままなのも、そんなところにあるのかもしれない。

すでにいろんなところで、アフリカへの支援に疑問を持ち、
これからの支援のあり方に、疑問を持ち始めている人たちも増え始めている気がする。






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by civaka | 2016-10-22 10:50 | 社会のあり方を考える | Comments(0)

walk for waterを、知る

今日は、お台場公園を散歩した。
久々のいい天気でとてもきもちよかった。

そこで、みかけたのが、「walk for water」と書かれた紙をもって立つ外国人の女性。

Walk for waterってなに?

水のために歩く。
水に向かって歩く?
水際を歩く
海を目指して歩く

初めて見る言葉だし、
そのあと、この言葉を印刷したTシャッを着た外国の人たちがたくさん歩いていた。

なんだろう。なんのイベントだろう。

家に帰って検索してみても、ほとんど出てこない。
日本では、ほとんど普及していない言葉、イベント。

唯一見つかる外国のサイトの、よくわからない日本語訳から
類推すると、

発展途上国の人たちは、衛生的で安全な水を手に入れるためには、
頭にカメやツボを載せて、あるいは、バケツを使ったりして、
たぶん安全な水のある川または、井戸まで、
平均3.5マイル歩かなくてはならないということのようです。

不完全な訳なので、そこから類推するしかありませんが、
安全な水をもっと楽に手に入れられるために井戸を掘ったりするための資金を集めるための
活動として、3.5マイルをTシャツを着て歩く。

たぶんそういうことなのだと思いますが、

今回お台場で、この言葉を見て、はじめて、知りました。
日本ではまだまだというか、ぜんぜん認知度が低いようです。
海外サイトでも、あまり出てこないので、世界的にも、認知度が低そう。

ただ、発展途上国に井戸をほろうという活動は、以前から聞くのだけれど、

walk for water

という活動はしらなかった。

安全でない水のために下痢をして失う命は、HIV、AIDS、大量虐殺、戦争、飢餓よりも多い。
のだそうです。

日本でこれから、この活動が普及していくのかは、わからないけれど、
そういえば、頭から、氷水を被るというアイスバケツチャレンジというのもありましたが、
最近聞かないかな。

3.5マイルというと、だいたい5.6キロメートルくらいです。
お台場まで歩いてきたとすると、レインボーブリッジを渡ってきたようなので、
出発点は、港区役所とか、田町駅、浜松町駅くらい。大変な距離ですよね。

ただ、あるくだけじゃなく、水辺まで歩いて、距離の半分は、バケツに入れた水をもって歩くらしいです。
今回見た人たちは、バケツは持っていなかったので、たぶん、3.5マイルを歩いただけなんだと思うんけど。

これを、毎日やるとしたら、相当しんどいなぁと、想像してみました。


ちょっと勉強になった今日でした。


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by civaka | 2016-10-16 17:16 | 社会のあり方を考える | Comments(0)
前から気になっていて、本屋に行くたびに目につくので、とうとう買ってみた。
今話題の一冊。ベストテンに入っていたこともあったはず。

確かに、面白い。そして、うならされた。

要は、
人の能力や、性格や、癖のほとんどは、遺伝。
実際、子どを育てていると、つくづく、どんなに親が頑張っても遺伝には、かなわないなあと思う。

頭の良さも、こまった癖も、遺伝なんだから、
親として、子供のために少しでもなんとかできないかと頑張ってみても、
限界がある。

本当に残酷すぎる真実だ。

そして、もう一つ、いろいろ書いてある中で、特にこの本で納得したのが、
子供は、子供の中で、育つ。育てらるということ。
今でこそ、子供は母親が育てるといわれているが、
現代のように母親が子供にべったり張りついて、
その人生のほとんどを費やして、子育てするなんて言うのは、
人類史上すごく珍しい。
私たちの世代は、子育ては母親がするものとか、
3歳までは母の手でとか、
まるで、昔からずーっとそうであるかのように言い含められ、洗脳されて、
えんえんと子育ての責任を負わされてきたれど、
実際には、今の社会体制がその方が都合がよいから、そういうことになってるだけで、

会社としては、女性に子育てや家事を一任したほうが男性をきっちり会社に縛りつけて、
好きなように使えるからに過ぎないし、
嫁姑の抗争だって、若い夫婦から親の世帯をはがしたほうが、
どこにでも、転勤させやすいからつくられた、ドラマによる洗脳のようにも思えるのだ。
もちろん、嫁姑、もめている家は、いっぱいあるのではあるが、
なんか、無意識のうちに、嫁と姑は、もめなければいけないと、思いこまされ、
ほんとにちょっとしたことで、怒っている気がしないでもない。

会社が日本にはびこる前までは、家族は、大人数で暮らしていたし、
子供は、立って歩けるようになれば、母親ではなく、子供たちの集団にマジてその中で、育っていった。
もちろん、最終的な責任は、親がとるのはもちろんなんだけど。

私たちが、子育てしている時も、子供たちは、3歳になる少し前くらいからもう、
母親だけとの生活に物足りなさを感じ始める。
親として、どうすればいいのか、子供が何を求めているのか、
なんだかわからなくて、当時は、本当に途方に暮れた。
だから、3年保育で、幼稚園に入れるとホッとする。
子供は母親が好きで母親とさえ一緒にいられればいいんだなんて、
嘘だ。

昔の人間社会も、子供は、乳離れすれば、子供の集団の中で暮らし、
母親は農作業や、草木の採集など、いろいろと忙しい。
生活に手いっぱいなのに、いちいち子供にはりついて、面倒なんて、見ていられない。
私自身もそんなにべったりは母親に育てられた記憶もない。

今の母親たちが、子育てに苦しくなってきたり、
若い夫婦が子供を殺してしまうのも無理はない。

もともと、子供は、村社会の中で、年長の子供たちと村全体とで育てられていたのだから。

そして、家事が昔ほど大変でなくなり、
人口が減って、優秀な人材の少なくなった現在。

女性たちが、子育てを保育園などに任せて、社会に出ていくことが、社会的に要求されるようになってきているのも、
当然の流れなのだろう。
それは、新しい時代というよりも、もとに戻るということだ。
今の日本は、3歳くらいにならないと幼稚園に入れられないし、保育園の数も少ない。
でも、アメリカや先進国は、もっと保育施設の数や質も充実している。
0歳児からどんどん保育園に預けて、女性は社会に出るのは、どんどん普通のことになっていくのだろう。

そういう風に読んでいて、子供がいじめで親に相談もせずに自殺してしまうのも、
こういう事情なのかと思った。
子供は、子供の社会の中で生きていくことが、絶対だからなのだろう。
子供の中で生きていけなければ、その先はあり得ないのだから。
ただ、今の社会は、いろんな年齢の集団ではなく、
どうしても、大人の都合で、年齢ごとに集団が作られていしまっていて、
年長の子供が責任をもって、年下の子供を面倒みるという構造じゃない。
だから、子供社会がゆがむ。
年齢で区切るのではなく、もっと、年齢間の交流のできる、保育園や、学校のシステムが必要なんだと思う。

もうひとつ、面白いのが、人間のあり方は、一夫一妻制よりも、
そもそもは、乱婚だったのではないのかという話。
そう思えば、男性がやたら、浮気するのも、
カップルが3年くらいで、飽きてくるのも、
ありかもしれない
乱婚でできた子供は、村の中で、村全体で育てる。
実際、経済力も、子育て力もない、若い人たちに子育てさせるよりもいいと思う。
特に、これからの少子化の社会では、ちゃんとしたカップルが結婚して子育てするのを待っていたら、
人口は、減るばかりだろう。
まして、金持ちほど、子供の数は少ない。
一人っ子のところも多い。
子供の多い家庭は、貧乏だっりもするし。
それでも、幼稚園や、学校が、子供たちの面倒を見てくれていたから、
一夫一妻制でも、子育てしてこられたのだろう。
社会が多くの部分の子育てを引き受けていたから。
けれどこれからは、さらに、0歳児からの保育、高校、大学教育、までも、社会で負担しないと、
子供は育てられないし、人口減少を改善できないかもしれない。

それにしても、乱婚。
ちょっと面白そうだけど、
もし、現代の社会で、乱婚のシステムが実行されたらどうなるんだろう。
まあたしかに、アメリカなんかでは、すでに、スワップとか、あるもんねえ。

ほかにもいろいろ、興味のある話題が多い。
面白かった。

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by civaka | 2016-10-01 10:44 | 読書ノート | Comments(0)