『孤島の王』
2013年 06月 30日悪いことをしたら、どんな扱いを受けても、しかたないものなのか?
悪いことをした人間はもう、人間じゃないのか?
いいえ、人間というのは、悪いことをするもの。
誰でも、多少の差はあれ、してしまうもの。
未完成で、未熟なそして、知性を持った生き物であるからこその、存在。
ノルウェーの少年矯正施設を舞台にした物語です。
少年院みたいなものだと思いますが、舞台が孤島なので、逃げられません。
そして孤島ゆえになおさら、中で何が起こっているのか、
外の世界からは、わかりにくい。
良くも悪くも、です。
バスタブもとい、バストイ島。
ここに送り込まれた少年たちは、みんな、悪いことをしてつかまって、矯正して、いい人間にしようと、教育されるはずの場所。
けれど、矯正にしては、結構厳しい。
寒い原野での過酷な作業。
ただ、彼らのやっていることは、普通に労働者がやっていることだと思います。
トイレのし尿の処理だって、木を切る作業だって、大人の労働者がどこでもやっていること。
働くことで学ぶものはあると思う。
けれど、ここの寮長というのが、ひどい人物で、少年のうちの一人に性的虐待を始める。
少年を自分の欲望を満たすための道具として扱うわけです。
そして、使用人に対しても、さげすんでいて、人間扱いしない。
強制労働や扱いのひどさはしかたないと、ある程度絶えていた彼らも、自分たちの同抱の一人をもの扱いする寮長に対して、さすがに怒りだします。
それまでずっと我慢していたものが、寮長の事件をきっかけに爆発する。
クビになって出て行ったはずの寮長が戻ってきた。しかも、寮長からの性的虐待に耐えきれずに自殺した少年の自殺の原因を、自分たちのいじめのせいだと、うその告発をした寮長に対して、怒りは、マックスにたっし、少年たちは、寮長を殴りつるし上げにし、クーデターをおこして、他の大人たちを襲い、院長を追い出す。
けれど、そんなことはずっと続かない。やがて、軍隊がやってきて、あっというまに、彼らは制圧されてしまいます。
物語中で、悪いことをしたのは、少年たち。
と思ってみているけれど、実は、少年たちをさげすみ愚弄し、モノ扱いする、この島の大人たちもまた、悪人。
少年たちに与えられる食物などの生活品を買うための予算を着服して、私服を肥やしている院長もまた、悪人。
悪人とそれを正す人のたちという対立する二つの人間のいる場所のはずだけど、実際には、島にいる人間すべて悪人です。
悪人が悪人を矯正出来るはずもなく。
この矯正島のシステムは、管理する大人の側もまた、悪人になりうる可能性を持っているってことが、かんがえられていなかったというのが、たぶん、盲点であり、システムの欠点だったのではないかと思います。
少年を管理するその大人をさらにきっちり管理する存在が、必要だったのでしょう。
それはもう、国を管理しているはずの政治家がやっぱり、汚職をしているのと同じだね。
そしてまた、悪人であっても、人間として、その尊厳と生きる権利は、尊重されるべきなわけです。
後半、少年たちにつるし上げにされ、燃やされた納屋の中で燃やされそうになった寮長は、主人公のエーリングによって、助け出されます。
寮長も悪人ですが、悪人でも、人間なので、やはりその尊厳は、守られなければいけない。
すでに、島を出られるはずだったオーラブを逃がすために、エーリングは、歩けなくなったオーラブを背負い、すでに凍って、歩いて本土にもどれるようになっている海の上を歩いていく。
割れた氷の間の海に落ちてしまってもなお、オーラブを助けようとしたエーリング。
なんでこんなところに送られたんだろうと思うくらい、主人公のエーリングは、すごい少年ですよ。
優しくて思いやりがあって、行動力も意志の強さも頭の良さも抜群です。
誰かにはめられて、無実の罪をきせられてここにきたのかなと、想像してみる。
性的虐待シーンのはっきりした描写などはなくて、見ている人に察してくださいという感じ。
ラストの軍隊が島にやってくるシーン。雪原にずらっとならぶ兵隊さんたちが面白かったかも。
最近の売れ線の新作よりずっとみごたえがあって、面白く、そして、いろいろと考えさせられる映画でした。
悪いことをした人間は、さげすまれても、どんな扱いをされても、いいんだと、思ってしまうものだけど、そして、今までの考え方ってそんなだったと思うけれど、本当にそうでしょうか。
悪事なんて、きっかけさえあれば誰でもやってしまう可能性を持っているわけで。
だから、監獄を管理する立場の仕事につく看守とか、ってだんだん、その立場にいるうちに、自分は正しい人間で、だから、悪人たちを虐待しても、モノ扱いしてもいいんだと、だんだんだんだん、思いこんでいく。そんなことをしているうちに、だんだん看守であるはずの人間もまた、だんだん悪人になって行く。
そんな世界というか、監獄ってそんなジレンマを持っているのかもしれません。
映画『エス』でも、実験として、学生を囚人と看守に分けて、生活させていくうちに、看守の側の学生が、囚人の側の学生を支配し、虐待し、さげすみ始めたように。
人は立場や役職によって、その意識を変えられて行ってしまうかもしれません。
こわいですね。
だから、こういう施設をつくる時、管理する側の人間はだんだん囚人側の人間に虐待を加えるようになる可能性があるわけで、それを考慮して、こういう仕事は、必ず、二年くらいできっちり交代させて他の仕事に回すというような制度にしたりとか、そんな必要があるんじゃないかと、思ったりする。
そして、だからこそ常に、人には人間としての尊厳があり、守られるものだと、意識し続けなければいけないのかもしれません。
・孤島の王@ぴあ映画生活