日本というのは、けなすということが、一つの文化なのかと、思う。
なんだか、けなさないと、いけないんじゃないと、心の奥で思っているようなところがある。
人と普通にあって、話をしている時に、相手をけなすようなことはもちろん基本しない。
でも、それ以外のことでは、いろんなところで、いろんなものをけなすことに、義務感を感じているような気がする。
日本のネットで、けなすような激しい書き込みが多いのも、そんな日本人の心の奥の心理の表れじゃないのか。
親が子供を、「おまえは、頭が悪い」とか、顔が悪いとか、きがきかないとか、不器用だとか、
とてもよくけなす。
褒められることは少ないのに。
こんな何気ない普段の言葉でのけなしを、ほとんどの人が親 から受けているのではないか。
それを真にうけて、自分はだめなんだと、思ってしまう人も多いだろうし、親とはそういうものだと、思っている場合も多いだろう。
親の側も、子供の欠点は、言っとかないと、いけないじゃないかという、焦燥感や、不安感や、義務感で言っている場合も多い。
そんな感じがする。
こんな日本人の心の奥に滞留しているけなしの文化は、もう、いらないんじゃないのか。
実際のところ、けなさなくても、子供はちゃんと、自分のいいところも、悪いところも、自分で理解して、育っていくものだし。
ネットの掲示板の、けなしや否定の羅列も見苦しい。
何か事があると、みんながまってましたとばかりに、非難の言葉を上げ始めたり、
国会中継のやじのひどさは、たびたびニュースになるくらい。
あんなやじも、心のどこかで、やじんなくちゃいけないんじゃないかと、思ってませんかね。
アメリカののように褒める文化がうらやましい。
日本の梅雨のようなけなしの文化。
別にけなすのは義務じゃないし、やんなくたって全然大丈夫なんですよ。
そういいながら、自分自身も、いろいろとやってきたな。けなし。
今後あまりやらないようにしようかと、ふと、思ってみた。