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by civaka

又吉直樹 著 『火花』を読んで

人が人を好きになる。
ただ単純にそれでいいと思う。
それだけでいいはずだと思うのに、なぜいろいろとこの社会は面倒くさいのか。

男が女を好きになる。
その先には、恋人、結婚、夫と妻という形が用意される。

同性同士で好きになると、それはゲイとか、レズとか、言われてしまう。
何故人が人を好きになると、性的な結論に行ってしまうのか。
男同士の友情とか、男が男に惚れるとか、
性的なものでなく、人間が人間を人間として好きになる、
コーヒーが好きとか、猫が好きとか、車が好きとか、
そんなことと同じ。
理由なんてない。
個人の好みと、感性だけの話。

主人公徳永は、芸人として神谷と出会い、弟子という関係で二人の仲は始まる。

売れない芸人である神谷は、当然お金がないから、先輩として後輩である徳永に酒や飯をおごるのが大変なのである。
結局、女のひもになって、女の稼ぎでおごるか、借金をして、おごるか、そんな方法しかない。

神谷は人として、徳永を好きなだけだと思うのだけれど、彼はそれをどうすればいいかわからない。
先輩ではあるけれど、才能があるわけでも、芸人として売れているわけでもないから、先輩としての技術や能力を模範として見せることも、指導することもできない。唯一先輩らしい行為として、酒や飯をおごるのだけれど、そのために副業をすることを彼のポリシーが許さない。
そのまま、借金だけが恐ろしいほどに膨れ上がっていく。
やがて、後輩である徳永の方が売れるようになってしまう。

実質的に先輩ですらなくなってしまった神谷は、徳永と全く同じ格好をすることで、同質化、同一化を図ってみる。
それでもダメな彼は、胸にシリコンを入れて、女性化することで、徳永との関係性を作ろうとする。
先輩として、男として、挙句は、恋人として。
どんな形で、好きな人とつながればいいのか、
だんだん神谷はわからなくなってしまう。
女性になりたかったわけでも、恋人になりたかったわけでもなく、
ただ、神谷は、徳永が好きだっただけ。

会社員であれば、上司と部下であれば、
上司として、仕事を教え、給料で部下に酒をおごることもできる。

でも、売れない芸人は、そんな簡単なこともできない。

たくさんの芸人志望の若者たちの中で、本当に売れる芸人になれるのは、ほんの僅かだけだ。
花火のように華やかに派手に咲いて輝ける芸人はほんの少し。
ほとんどの芸人志望者は、まったく売れずに終わるか、ほんの少しだけ売れて、火花のようにパチッと一瞬だけ光を放って消えていくだけだ。
そのさきにはただの普通の社会人になるだけだ。

けれど、そんな普通に戻れない神谷のような男もいるのだろう。
神谷の恋人として、二人の女性が登場する。彼は、結構モテルのだろう。
けれど、彼が好きなのは徳永なので、女性のことはどうでもいいらしい。
物語の中でも、女性のことなどほとんど考えていないし、
真樹が、売春をしていても、その金を平気で使いこむ。
彼女を心配する言葉は一度も出てこない。
由貴と、食事の約束をしていても、彼女を待たせたまま延々と徳永と酒を飲み続けてしまう。
彼が好きなのは、徳永だけで、でもそれは、恋ではない。

男女であれば、運命の恋人として、結婚して一生幸せに暮らしましたで、終わるのだが。

芸人の立場は、友達とのかかわりすら、続けていけなくなってしまうのだろうか。

ただ人が人を好きなだけ。
そういうお話だと思う。

又吉直樹氏には、芸人として、もっと芸人の独特の世界を、書き続けてほしいと思う。
池井戸潤氏が、銀行にいたからこそ、描き出せた銀行の世界、ビジネスの世界の独特の小説を描いてくれたように、その世界の中にいるからこそ描き出せる世界を小説を書きだしてほしいと思う。
プロの小説家が、取材して書き出すのでは入り込めない、独特の世界を小説の世界に再現し、読者に見せてほしいと思う。

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by civaka | 2018-05-18 11:03 | 読書ノート | Comments(0)