娘が好きで読んでいる宮本輝の本を一冊借りて、読んでみた。
かつて、不倫が原因で別れた夫婦の往復書簡で語られる、夫婦の間の物語。
美しい蔵王の山々の紅葉を背景に始まる物語は、最後もまた、美しい紅葉の中で終わる。
ヒロイン勝沼亜紀は、二度結婚するけれど、二度とも夫の浮気で離婚することになる。
かわいそうでもあるけれど、読んでいるとこれは、無理ないのかもしれないと思う。
二人の夫はどちらも、たぶん妻に不満があったわけではなく、
同居する妻の父親の存在感の大きさにうんざりしていて、
妻の実家での同居は、家での安らぎのなさであり、
本人たちはそれを自覚していたかいないかわからないにしても、
ほかに心の落ち着ける場所を無意識に求めてしまったのだと思う。
一人目の有馬は多分自覚なく、無意識だったと思う。
そして、二人目の夫は、ほぼ自覚していたと思える。
もし、亜紀が、実家を出て、夫と新しい家庭をきずいていれば、
あるいは、浮気も、離婚もなかったのではないかと思う。
なにしろ、二人の夫はどちらも、彼女にぞっこんほれ込んで結婚したのだから。
亜紀は、なぜ、実家を出なかったのだろう。
いったい、いつの時代の物語なのか。
二度目の結婚では一度実家を出て、夫の家で暮らしている。
けれど、急な姑の死と、亜紀の父親の強引な説得で、結局また、
夫婦で彼女の実家に父親とともに暮らすようになってしまう。
相当存在感があり、何でも無理やり自分の意見を通してしまうような
この父親との同居は、夫たちにとってよほど居心地悪かっただろうと思う。
小説の中にはそのことはほとんど書いていないのだけれど。
亜紀はなぜ、実家を出なかったのだろう。
母親がすでに他界していて、父親だけを残すことが忍びなかったのか。
それとも、裕福な暮らしを捨てて、夫と二人の地味な生活がいやだったのか。
亜紀は働いたことすらないようだし。
一人目の夫有馬と別れた後も働こうとはしていない。
家を出て、自立しようともしていない。
お手伝いさんのいる親の家で、暮らすことは彼女にとって当たり前のことなのだろうか。
もし、母親が生きていたら、
実家を出ていたかもしれないし、
有馬との離婚をとめてくれたかもしれない。
二人目の夫との結婚後も実家に戻らないよう助言してくれたかもしれない。
彼女が業とよんでいる障害のある子供も、
あまりにも苦労のない彼女の人生に神が与えた試練だとも思える。
だって、二人の夫と別れてもなお、彼女は暮らしに困ることがない。
作者はこの父親が彼女の人生をいかに支配しているかを承知の上で
この物語をこんな設定にしたのだろうか。
別れた二人が死について語る舞台設定を作り上げるために。
美しい秋の先に、厳しい冬が待っている。
二人もまた、これから先の冬のような厳しい人生を
生きていかなければならない。
それにしても、亜紀の文章は、今どきの女の人はこんな文章書かない
という違和感でバリバリでした。
男が作る理想の架空の女性だなぁ。
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